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僕が君にできること

 それから僕たちは彼女の部活が早く終わる放課後以外にも  ほんのちょっとだけ話すようになった。    少なくとも彼女が朝練から帰ってくるときには、  僕の机にかするようにして彼女の机に戻っていった。  その時に、ちょっと挨拶をしてみたり、  時には立ち止まって彼女に貸した本について一言二言述べたり、  そうゆうことが起こるのはごくごく自然のことのはずだった。  自然のことであれと、念じてもいた。    でも、誰それがくっついただの離れただのの話を  何よりも好物としているコウコウセイという生物は、  ケーキに群がる蟻のように僕らについて聞えよがしな噂を口にしたり、  時には笑い合うことでお腹を満たしているようだった。    僕らのそれをちょっと面白おかしく眺めたり、  内緒話に講じる輩なんかを相手にはせずに、彼女はあっけらかんと笑っていた。    つきあってるのか、という問いには首を振り、  好きなのか、という問いには少し考えてはにかんだ。  下世話な噂に対しては、彼女は小首をかしげ 「まだ、手をつないでないもの」  と可愛らしく笑った。    彼女のそんな様子に周りは混乱し、  それを彼女は少なからずとも楽しんでいるようだった。    そんな引いても押してもくにゃくにゃとしている彼女と終始無言の僕とを前に、  彼らは早くも新しいケーキを見つけそちらへと群がっていった。  僕はそんな彼女に感心すると共に、少し、疲れてしまったのかもしれない。  どうでもいい輩にどうでもいいことを言われ、  それが僕にとってどうでもいい人ではなかった人のことだったからか、  僕は落ち込み、落ち込んでしまったことに落ち込んだ。   「最近元気ないね」  彼女が僕にそう聞いたのは、  僕が答えが返ってくることのない問にぐるぐると頭を悩ませていた時だった。    誰に何を言われようとも、僕らは放課後に会うことを控えたり躊躇したり、  ましてややめたりなんかしなかった。 「そう見えるのなら、そうかもしれない」  『君にしてあげられる100のこと』という本を片手に僕は横目で彼女を見た。    彼女は僕が作り上げる気まずさをそこにある空気なんかと一緒に吸い込んで、  何にもなかったみたいに僕の手をなでた。  彼女はあれから時々、僕の手をさするようになった。  彼女の、あの細い人差し指だけで。  手は置いてあるのに、彼女は僕の手を人差し指だけでしか触ろうとしなかった。    それは自惚れて言うなら、癒しと安心を求めての行為に見えた。  けれど、彼女は絶対に手を握ったりはしなかった。  彼女の指の重みは感じても温もりまでは感じられない程度で  彼女はその感覚に満足しているようだった。 「その本、役に立った?」   人差し指を休めずに彼女は言った。  彼女のきれいに切りそろえられた爪がゆっくりと  僕の手の甲にあがってきてまた指の方へと下がっていく。 「もし、君が雲の多いどんよりとした日に、ちょっと憂鬱だなと思うのなら、  僕は君のために真っ青のカーテンを買いに行こう。  君が望むのなら何遍だって笑顔でおはようと言おう」    僕は彼女の眼を見て、僕が出せる限りのハスキーな声とともにそれを告げた。  その本にはそのまま抱きしめるといいとか何とか書いてあったけれど、  さすがに僕は実行できなかった。  だから、できうる限り目に力を込めて彼女を見つめた。  「ぶはっ」  彼女の第一声はそれだった。 「そうゆうことば、ほん、と似合わないね」  彼女は肩を震わせながら手で顔を隠して途切れ途切れに言葉を紡いだ。 「それじゃあ、睨んでるよ」  と、顔を指さされ、僕は本を閉じた。 「ということで、役には立たなかったみたいだね」  タイトルとは裏腹にただの口説き本だったようだ。 「このタイトルの君のためって、読む人のことなのね」  彼女は本をぱらぱらとめくって僕を見上げた。 「まさしく、だね」  神妙に頷いた僕に彼女はもう一度笑った。今度は僕も一緒になって笑った。 「ねえ」  ひとしきり笑ったところで、彼女は机に頬杖をつきながら僕を見た。 「あなただったら何をしてくれる?」  彼女の黒目が僕を捉える。 「平井先生は君に何をしてくれたの?」  僕は彼女の黒目を見返した。  そこに映る僕を何としてでも見たかった。 「英語の教科書を開いて、完了形について教えてもらった」  彼女を見続けた。  僕はその続きをどうでもいい人から聞きたくもないのに教えてもらった。 「平井先生はすごい愛妻家でね、先生の奥さんと子供さんの写真を見せてもらったの。  まだ3歳なんだって。だから、例えばその写真を覗き込んで笑いあってて、  そうゆう所を見られて誤解した人がいたとしても、それは仕方のないことだとは思う」    僕は彼女を見続けた。彼女も僕を見続けた。    折れたのは僕の方だ。信じたわけではない。  ただ、彼女のちょっと強張った肩とか、無意識に握っている手とかそういったのを見て、  僕はだいたいを想像してしまった。    きっと、彼女は今口にした「事実」よりも少し噂に近くて、  けれど噂よりもっともっと軽いことに直面したのだろう。  それを察して何か聞こうとする気にはなれなかった。    詰まるところ僕は、ちょっと嫉妬したのだ。    彼女のあのきれいな指が他の誰かに触れられたのかと思うと、  思わずこんな本を手に取ってしまうくらいには嫉妬したのだろう。 「じゃあ、僕は」  僕は鞄をごそごそと漁った。  開いても暗い画面が浮かび上がるだけのそれを取り出した。 「君が深夜夢見が悪くて飛び起きた時とか、  どうしても誰かに子守歌を歌ってもらえないと眠れなくなった夜とか、  そういうときに僕は君の声を聞こう。君に声を聞かそう。  どんなときだっていい。君の」    僕は画面をつけた。  ぴろりろとまぬけな音が発せられて、  暗かった画面が明るい色彩で彩られる。  彼女はそれをただ見ていた。  それを見て、僕を見て、僕は彼女の眼を捉えた。 「君のSOSを聞こう」  彼女の肩からゆっくりと力が抜けていく。こぶしが緩められる。 「やっぱり、似合わないね」  力なく笑った彼女の笑顔を受け止めたいと思った。 「似合いすぎる人がこんなこと言っても信用されないだろ」 「そうかもね」  彼女は鞄の中からそれを取り出した。  キティちゃんのストラップがついているそれは  彼女よりも彼女の年齢をそのまま表しているようだ。 「私の携帯、赤外線ついてないんだ。メアド打ち込んでくれる?」  彼女が差し出した携帯を受け取るついでに、僕は彼女の手を携帯ごとぎゅっと握った。  僕よりも一回り以上も小さい手は僕の手に隠れて見えなくなった。 「……ずるいよ。先越すなんて」  我慢できなかったんだ、とは言えなかった。  誰かが触れた君の手を僕が触れていないことに我慢がならなかったんだ、と。 「星見ながら、打ち込むよ」  僕はその手を握ったまま、彼女と自分のカバンを持った。  片手で持つには彼女のカバンは重かったけれど、  昇降口に出て靴を履き替えるまでは頑張った。  彼女は靴を履き替えると、自分のカバンを肩にかけて携帯を右手に持って、  左手で僕の手をとった。 「帰ろう」  彼女の左手に引かれて僕らは夜空の下を帰った。  同じ隣にいても手をつなぐと途端に相手との距離が近くなることも初めてわかった。    メアドも番号も彼女が一文字ずつ読み上げるのを  僕は使い慣れない左手で打たなきゃいけなくなったけれど、  そうやって入れた彼女の携帯のアドレスを誰とも違うボックスに入れているのは、  彼女にはまだ内緒だ。     

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