1.女神様の溜息

 いいですか。よおく聞いておいてください。  夜空の星と星の間。お月様から見て、きっかり45度の位置。  ビルの屋上を越え、コウモリの背中を見下ろし、雲さえも突き抜けて、  ずーっとずーっと飛んでいった先にあります。  目印は真下に東京タワーが見えるそうです。  ほんの点のようですが。  え? 何があるのか、ですって?  決まっているじゃないですか。  神様の城ですよ。神様がいらっしゃるお城です。はい。  行くときにはよくよく注意して張り紙を見てくださいね。  何しろあそこの神様といったら、恋の病にかかっていらっしゃる方たちばかりですから。 *******************************  白い台座の上に水晶が置かれている。  頬杖をつきながら眺めていた女神は溜息をついた。  水晶の中に写っているのは、人間界の様子。  池袋のサンシャイン通り。  それにしたって、、、 「ああ! もう、なんだってこんなにカップルばっかりなのさ!」  金色に輝く長い髪をぐしゃぐしゃにかき回す。  いつもはきれいに櫛の通った絹のような手触りの髪の毛も、目も当てられないほどぼさぼさだった。 「いらいらする。……目の前でいちゃいちゃするな!!」  道端で性懲りもなくキスしようとしているカップルをみつけ、女がきっとにらみをきかす。  カップルはキスをしようとしていたことも忘れ、けんかを始めた。  往来で彼女の平手が彼氏の頬をとらえる。 「おお、いけいけー!」  無駄に応援する女神。  別々の道をゆく二人を見て、すっきりするのと同時に虚しくなった。  そもそも、ここのところ落ち込んでばかりだったから気分転換に水晶部屋などに来たのに。  もう一度大きな溜息をつく。  周りにはいくつもの台座が整列してあり、その上には水晶が置かれていた。  なんでも人間界のダイガクというところにある教室がこんな感じの作りらしい。  なんといったか、、「ぱそこん」なるものがその上には置かれているという。  一体それで何が見えるのだろうか。  ダイガクって芋の種類だとばかり思っていたのに。    この部屋にいるのは女神ひとりだ。この女神、名をアラビューという。  台座近くの窓から、外を見る。庭園の噴水が絶えることのない水を湧き出させていた。  あの水を循環させるのに、人間界にまけばいいと言い出したのは誰だったか。  まいた水が「メグミの雨」とか呼ばれてふれふれ言われちゃうんだから、  本当に人間とはなぞだ。  っていうか、メグミって誰だし。  そんな思案にふけっていると、カツカツとこちらに近づいている音がする。  ピタッと水晶部屋の前で音が止まると、ドンっと大きな音がした。 「水晶部屋ではお静かに」 「アラ、あんたなにやってんのよ!!」  城中に怒声が響き渡る。  白く輝くこのお城はちょっとやそっとじゃ壊れないが、さすがに神様の怒声となると、揺れくらいはおきる。  アラはやめてといったのに。  呼ばれてるのか、あら、とただ言ってるだけなのか区別がつかない。  目の前にいる怒れる神様―名をアチという―は、真っ赤な短い髪の毛をいつもより2割り増しで逆立てている。  まるで炎のようだ。絵に描く炎とそっくり。 「私? 何もやってないわよ」  微笑み返すもアチの髪の毛は鎮まらない。 「嘘こくんじゃない! 下から文句きたって、エラ様が嘆いていらっしゃったわよ」 「文句?」  下、とは人間界のことだ。持ちつ持たれつ、友好関係はばっちしだ。  何しろ、黒い煙やらがらくたやらで地球が壊れるなんてとんでもない。  下には、ちゃーんとそのことをやってもらわないと、私たちも危ない。  今日と偽低所、っていうのがあるらしいけど、今日やったって明日もやんなきゃだめだろ!  っていうか、偽低所ってなに? 偽の低いところ? じゃあ高いってこと? なぞだ。  環境問題は高くつくって言いたいのだろうか。  で、そんな下からの文句とは。 「なんでも、今年のバレンタイン、下ではみんな殺伐とした雰囲気だったらしいわよ。 お菓子業界が思ったよりも業績伸ばせなくてひいひい言ってるって」  バレンタイン。女の子が男の子にチョコと一緒に気持ちをあげる日。 「そんなの私のせいじゃないわよ。今じゃ女の子って逞しいからね。本命なんて自分ひとりで十分! なんて子多いんじゃない?」 「じゃあ、お前も逞しくなれ」  ぐさっ。  しれっとして言った言葉に返された一言。  アチさん、それ痛いです。恋する乙女には致命傷です。  うるうると目に涙を溜めて見せるが、アチには通用しない。 「無駄だ。私は男じゃねえ」  や、無駄に男らしいです!  あんな男より数倍いいです!!  そう言いたかったけれど、やめた。  だってやっぱり想う人は一人なのだ。 「あんたが溜息つくたんびにカップルが一組ずつ減ってんだよ。あんた今日何回ついたよ?」  指をおって数えてみる。  えっと、いち、にい、さん…………  ……… 「わかった。もういい」  指が3回目の閉じるのを始めたとき、アチからの静止が入った。 「一日でそれだけついてりゃな。今度は何があったんだよ?」  諦めたように訊くアチは、最初からエラ様にアラビューの話を聞いて来い、と言われたようだ。  ふっと寂しげな表情を見せると、アラはゆっくりと口を開いた。 「あのね」  ドゥワワヮヮヮーッッッッ!!!!!  話始めたとき、廊下からすごい音が聞こえてきた。  地響きと共に城がゆれ、水晶が台座から転げ落ちる。  アラビューとアチはじっと扉をうかがった。  開け放されたままの扉越しに男が廊下を走りすぎていくのが見えた。  ……ッッッッヮヮヮワワドゥ!!!!! 「巻き戻しするな!!!」  後ろ向きで戻ってきた男は扉の前に立つと、さも何事もなかったかのようにすくっと立った。  アチのつっこみにも負けず、女という女すべてがとろけるような笑みを浮かべる。 「アラビュー、探したよ」  アチのことは目の端にすら入っていないかもしれない。  ふうっとこれみよがしに溜息をついて見せた。 「ミトゥ!!」  アラビューにさえ目の端に入れてもらってないらしい。  アチは頬杖をついて、駆け寄りあう二人を見やった。 「アラビュー、僕が悪かった。ごめんよ」 「いいえ、ミトゥ。謝るのは私のほうだわ。もう、嫌われてしまったかと思った」  ミトゥはうつむくアラビューの肩をつかむ。 「そんな! アラビュー、君を愛してるよ」 「ミトゥ。私もよ」  二人はひしと抱き合った。  へいへいよかったね、と呟くアチに向かってミトゥが目配せをしてくる。  ああ、あれね。  ぱちぱちと乾いた拍手が水晶部屋に響く。  おざなりのように叩くアチをミトゥは睨むが気にしない。 「ありがとう。アチ。心配かけてごめんね」  ミトゥの胸から顔をあげると、アラビューはアチを振り返る。  目にはうっすらと涙がたまっていた。  あんた、さっきと性格変わってるから。  ってか、いつ髪とかしたんだよ。  アラビューの髪の毛には天使のわっかがきらきらと輝いている。  まぶしい。 「私は、どっちかっていうとあんたの溜息を心配してだね」 「ふふ。照れなくてもいいのよ」  けっ。  よほど声に出そうかと思ったが、心の中だけに留めておいた。  アラビューはアチにとっても大切な友人だ。  目の端にさえ入らなくとも。 「それにしてもさ、なんでまたけんかしてたのさ」  アチの問いに二人は顔を見合わせる。 「だって、ミトゥったら、ホワイトチョコレートは邪道だ、なんて言うんだもの」  アラビューは口をとがらせて、上目遣いでミトゥを見る。  計算されすぎててコワイ。 「ホワイトチョコレートなんて気色悪いじゃないか。ゴキブリが白かったら嫌だろう?」 「そりゃそうだけど」 「ほら。それと一緒だ」 「それもそうね」  いや、断じて一緒じゃないから!!  すごくすごくつっこみたいが、この二人の間にまたいざこざを起こしたくはないので、ぐっと我慢した。 「って。それだけ?」 「「うん」」  二人の声がハモった。 「でも、すごく大切なことでしょう?」  微笑んで言うアラビューに、今度こそ言ってやった。 「っけ」 「それで、一週間のけんかの原因というのがそれですか」  王座の部屋。神の中でも最上位の力を持つ男。それがエラだ。  物腰柔らかなそれは個性豊か過ぎる神々を束ねるには相応しい。  アチの手にはホワイトチョコレートが握られていた。 「はい。たまたまホワイトチョコレートを人間界で口にしたミトゥが、 こんな美味なるものを否定していたとは!! アラビュー俺が間違っていた!!  ということに気づいて、仲直りにいたった次第です」 「そうですか」  アチの報告にエラは困ったもんだと言うように笑った。  そんな笑顔でさえ、アチには眩しすぎてドキドキしてしまう。 「せめて、もう一週間前後にずらしてもらえればよかったのですがね」 「はあ。しかし、それをアラに求めても恐らく無理かと」 「そうですね。来年は何か事前に手を打っておきましょう。溜息さえつかなければ大丈夫なのですから」  アラビュー。それは愛の神。彼女の心の揺れは人間界にまで影響を及ぼしてしまう。  人間界ではアラビューと唱えると、恋人になれるというジンクスがあるらしい。  よくその言葉を耳にする。  しかし、それには相手がミトゥと答えることが必要なのだとか。  さっぱりわからない。あの二人にあやかりたいのだろうか。 「それに、本当に愛し合っている二人なら、また元に戻れます」  私もあやかりたいものだ、とアチは思う。  唱えてしまおうか。この目の前の人に向かって。 「珍しいですね。あなたがそのように言うなんて。恋煩いですか?」  思わずうつむいてしまった。  顔に血が上っているのがわかる。  エラはといえば、気を抜けば漏れてしまいそうな笑い声を抑えるのに必死だ。  尋ねたとたん、アチの赤髪がぼっと逆立ったのを彼女はきづいているだろうか? 「まあ、支障が出るようでしたら、張り紙をお願いしますね」  優しい声にぶんぶんと首を横に振った。 「お気遣いなく。こ、恋煩いなどとは、とんでもありません」  どもる声にエラは肩を震わさずにはいられない。 「今度ゆっくりと貴方の思い人について聞かせてくださいね」  そんなの本人にできるか!! というアチのつっこみは届くこともなく。 「は、はあ」  と、濁すほかなかった。 「チョコレート」 「はい?」 「そのチョコレート私にもくれませんか?」  は、はい。とアチはチョコを差し出す。  エラはそれを半分に折るとアチに手渡した。 「半分こです」 「あ、ありがとうございます」 「今日がバレンタインだったらよかったですね」  困り顔のアチににっこりと笑ってみせる。  アチの顔が赤くなることを狙って。  その日。神の城の玄関口の張り紙がはがされた。 ――愛の女神様、溜息増加中! 大きな揺れや暴走物にご注意ください。  ぴりぴりと破かれたそれはちりとなって人間界に捨てられた。  それを人間たちは冬にはユキと言うらしい。  紙切れを喜ぶんだりするのだから、人間は不思議だ。  アラビューとミトゥは城の外の雲のベンチに寄り添いながら座っていた。 「きれいねえ」  チリたちは思い思いに飛び立っていく。  二人は互いを見て微笑んだ。  神様は恋焦がれる毎日です。

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