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僕のはーとはひび割れ模様

彼女と星の輝く夜空を見上げなくなって3日がたった。 3という数字をここまで重く考えたことはなかった。 偶然という言葉を使えなくなるのが3日目だなんて初めて知った。 彼女と3日帰ってもただの友達だったのに、 彼女と3日帰らないと友達以下になってしまったなんて、 どうしてそう思ってしまうのだろう。 今でも僕は放課後教室で本を読んでいる。 ガラッ 教室のドアが開く音に、僕のか体がびくりと反応した。 ゆっくりと教室の前でいつも僕たちを見張っている時計を見上げる。5時30分。 今日は木曜日だから彼女はまだ部活、のはずだ。 「いやーおつかれおつかれ」 大判のタオルを首にかけながら、にかりと笑ってきたのは男子バレー部の奴だった。 ひょろっと伸びた身長に、けれどそれを軟弱とは見せない筋肉質の体。 僕はちらりと僕の白い腕を見た。 「おつかれ」 絞り出した声は小さく掠れた。 けれど彼はそれを拾い上げたらしく、「おう!」と元気よく僕に応えた。 教室の前の席で豪快に体操着を脱ぐ彼の姿が嫌でも目に入ってしまう。 割れたお腹にすらりと伸びた長い腕。 節々とした手は彼女が好きそうな手だと漠然と思った。 僕は必死で何でもない振りをして、本に目を落とした。 彼の着替えの音ととぎとぎ調子の外れた鼻歌だけが教室に響き渡る。 彼の鼻歌が陽気な音を紡ぐ度に、僕の心の中が黒く塗りつぶされていく。 叫びだしそうな声を必死で唇を噛み締めることで凌いだ。 本がくしゃりとつぶれる。 彼は悪くない彼は悪くない彼は悪くない彼は悪くない彼は悪くない 言葉が口から飛び出さないように、けれど僕を黒く覆う何かをせき止めるように隙間なく 僕はその言葉を頭の中に流し続けた。 「じゃ、また明日な」 着替えの終わった彼がうすっぺらい鞄と大きなビニールバッグを背負って僕に手をあげる。 うっすらと笑いに近くなるように口の端を持ち上げて、僕は手をあげた。 固く固く拳を握った。 そうしなければ、彼の大きな背中に何かをなげつけてしまいそうなのがわかっていた。 長い手も大きな背中も端正な体も持っているのだから、 だから彼女を返してくれ、と大きな声で罵ってしまうのがわかっていたから。 彼は今彼女に最も近い男だ。 7時になって、誰もいない教室で本を閉じて、一人で星空を見上げながら帰った。 彼女が隣にいない。 それだけでこんなにも夜を寂しいと思うなんて。 家に帰ってご飯を食べて、部屋に戻ると電源を落としていた携帯をつけた。 彼女のアドレスを呼び出す。 電話のマークを押せば、これが彼女につながるのはわかっているはずなのに、 僕はそれを押すことがいまだにできないでいた。 例えばこれが彼女につながらなかったら? 例えば彼女が出てくれなかったら? 例えば彼女が誰かと一緒だったら? 例えば彼女がごめんねと謝ってきたら? そんな「例えば」だけが僕の頭の中を飛び回って、 不用意に僕を傷つけていく。 じわじわと流れ出る何かを僕は必死で止めたくて、 携帯を握りしめた。 僕は彼女のアドレスを表示したまま眠りについた。 寝ぼけてそのボタンを押してしまえば良い、と願いながら。 結局奇跡なんて滑稽なものは僕を訪問してはくれなくて、 そのまま僕は電池の切れた携帯をかばんに放り込んだまま、 何でもない日常を、だけれどどうしようもなく欠いたままの日常を 過ごしに学校へと向かった。 「おはよう、これありがとう」 教室に入って席に着いて、始業のベルが鳴る前にふわりと僕の横に人が立った。 ともすればそれはとても懐かしくて、ひるがえったスカートに一瞬だけ希望を抱いてしまった。 けれど、彼女に似ても似つかない髪型とかしゃべり方とか香りだとかが僕を容赦なく打ちのめす。 隣に立つのは、彼女じゃない。 「あ、ああ。どういたしまして」 彼女と放課後とりとめない話をしたり、一緒に星を見たり、手をつないで帰ったり、 そうしているうちに僕は僕でも信じられないことに他人とどう付き合っていくか、 ということを真剣に考えるようになった。 彼女は爪の先ほども気にしたことはなかったけれど、 僕と一緒にいることで彼女の株は、少なくとも彼女にとって親しくない人の株は、 多いに下がっていた。 そして、僕はそれを気にしないほどには割り切れなくて、 彼女の隣に居ることを諦めきれなくて、仕方なく得た妥協案が「振る舞う」ことだった。 彼女に自然に向けられる視線を仕草を口調を、意識を持って外にも向けてみただけだけれど。 けれど、それはいくらかの効果があったみたいだ。 こうして話しかけてくれる人もできた。 「すごい、よかった。また面白い本があったら貸してくれる?」 ふんわりと笑うそのクラスメイトの女子に僕はできうるかぎりの微笑みを投げかけた。 「機会があったら、また」 その人は満足そうに笑って、僕の肩を叩いて、自分の席に戻って行った。 その人の席の2つ前が彼女の席。 振り返れば、彼女を見ることができるのはわかっている。 でも、振り返れない。 「なあ、今度の練習試合だけど、女子もやる?」 「いいねえ! 一緒に頼んでくれるの?」 彼女の席から聞こえるはしゃぐような声。 彼女がバレー部だということを僕は最近知った。 それも男子バレー部の奴と楽しそうに会話しているのを聞いて。 「いいよ、いいよ。先生には話しといてくれな」 「おっけー! ありがとうね!」 本に集中したくとも僕の耳は勝手に彼女の声を拾ってしまう。 僕は彼女の声が僕の背中とか肩とかましてや頭なんかにぶつかったりしないように、背を低く丸めた。 彼女の声が僕をなでていったりしたら最後、 僕は彼女を振り返って、 その笑顔を見て、 僕にではない誰か他の男に向けている白い歯を見て、 その男を殴りつけてしまう衝動を抑えられるとは到底思えなかったから。 彼女の声が発せられていない時、 例えば美術で作業をしているときとか、体育で走ってる姿とか、一人で廊下を歩いているところとか、 そういう時にそっと彼女を盗み見るのが僕の習慣になった。 彼女が僕に関心がなくなったとわかってはいても、僕はちょっとの望みを捨てれずにいた。 彼女が僕の視線に気づいて笑ってくれるとか、 振り返ってあのちょっとはにかんだ顔で、じょーだんでした、とおどけてくれるとか、 何も言わずまた放課後の教室のドアをがらりと開けてくれるとか。 僕はそんなありもしない妄想を繰り広げて、その幻想にしがみついて生きていた。 もちろん、放課後居残ることを止めもしなかった。 僕はわかっていなかったのだ。 そもそも彼女が僕のことを気に留めていたこの期間自体が例外だったことに。 今のこの状態が「普通」で今までの光景だったのに、 僕は彼女と知り合ってしまったその反動ですっかり忘れてしまっていたのだ。 放課後。 いつものように図書館で時間をつぶして6時頃には教室に戻った。 それまではいつも通り。 でも。 「俺と付き合ってほしいんだけど」 それはすごく絶妙なタイミングで。 いつも通りでないその状況に僕はいつも通りのことをしてはいけなかったのに。 その長身からくるハスキーな声が聞こえた途端、僕は思わずドアを開けてしまっていた。 彼と向き合う彼女の後ろ姿が見える。 ゆっくりと彼女が振り返った。 僕を見て、彼を見て。 「・・・少し、考えさせてくれる?」 静かな声で彼女は言った。 それで十分。 これで、十分だ。 彼女は断らなかった。 当たり前だ。 今までが例外。 僕たちは付き合ってなどいなかったのだから。 どちらかが止まれば離れてしまうような手とか、 どちらかが番号を変えてしまえばつながらない機械とか、 見えもしない判子なんかで、なぜ安心してしまっていたのだろう。 砂のようにこの指から流れ落ちてしまうなら、 水でもかけて固めておいておけばよかったのだ。 もう遅い。 何もかも。 僕のハートは、もう。 ひび割れてしまった。

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