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私のはーとは雨模様

それから私たちは平日の星が見えるような夜には電話をして、 傘をささなくていいような天気の日には手をつないで帰った。 私が部活のない日には教室の彼がお気に入りの机のそばで 陽が落ちるまでとりとめのないお話をして、 部活のある日には彼はお気に入りの机に座って本を読みながら 私のことを待っていてくれていた。 それを付き合っていると呼んでもいいことは知っていたし、 周りからは彼氏と彼女で太鼓判を押されていることも知っていた。 私は、そんなどちらかが止まれば離れてしまうような手とか、 どちらかが番号を変えてしまえばつながらない機械とか、 見えもしない判子なんかに少し傲慢になっていたのかもしれない。 彼の手の熱さとか時々見せる耳の赤さとかほんの少し垣間見せる笑顔とかに、 私は安心していたのかもしれない。 私の隣は彼で、 それはこれからも変わらない、 なんてどうして思えていられたんだろう。 彼は変わった。 周りが気づかないくらいのほんの少しずつ日に日に変わっていった。 ほんの少し目を細めるようになって、 ほんの少し優しい瞳をするようになって、 ほんの少し顔を挙げて歩くようになった。 そして、そのほんの少しが、私だけに、というわけじゃなくなっただけだ。 「わあ、その本探してもなかったのに! どこで買ったの!?」 明るくなりすぎない程度のブラウンに細かくあてられたパーマ。 彼女が笑う度、首を傾げる度、彼に近づく度。 彼女の髪はふわふわと泳ぐ。 彼女の可愛い声にそのヘアスタイルはとてもよく似合っていた。 「これは父が買って来たもので、家にあったんだ」 彼の少し低めの声が彼女の問いに答える。 その声は教室に響き渡るほどではないけれど、 私は全神経をそちらに向けていた。向けてしまっていた。 「いいなあ。どこで買ったのか聞いてみてくれる?」 彼女が彼の顔を覗き込む。 咄嗟に口を手で押さえた。 そうしていないと、何かを口走ってしまいそうで、何かを殴りつけてしまいそうで。 私の足はがくがくと震えていた。 恐怖ではない。 飛び出してしまいそうなのを必死でこらえているからだ。 「わかった。聞いておくよ」 目をつむった。 ここで彼が微笑んでいるのを見てしまったら、 私は間違いなく彼らの間に割り込むだろう。 彼らの間には1冊の本。 その本を、彼の本さえをも破りかねない。 彼女が私の机の横を通っていった。 私の席から2つ後ろの席。 彼女からは甘い花のような香りがした。 彼女が彼と話しだしてから、今日で1週間目。 なんだろう、なんだろう、なんだろう。 なんでこんなに。 裏切られた気分になっているんだろう。 それは本来なら喜ぶべきことだったかもしれない。 もしくは、それを機に私も変わっていければよかったのかもしれない。 黒い羊の中に白い羊がまぎれていく。 苦いコーヒーの中に白いミルクが広がっていく。 私は、彼が黒くなっていくのを見ていられなかった。 黒に染まってしまう彼なんてみたくもなかった。 でも違う。 本当は、彼女を好きになってしまう彼を見ていられなかったんだ。 私が部活の日には、私は彼を教室まで迎えに行くのが暗黙の決まりだった。 私は着替えに急がなくても良いし、彼はお気に入りの席でぎりぎりまで本を読んでいられる。 部活でへとへとな日でも、彼を迎えに行くために階段をのぼるのは楽しかった。 私が教室のドアを開けると彼は本から顔をあげて私を振り向く。 そして、ほんの少し微笑む。 それがとても好きだった。 私だけを見ている彼の笑顔が、私の心のはしっこをくすぐっていた。 彼の笑顔を思い返しながら、私はうきうきと階段を上っていた。 彼女のことは気がかりでも、彼との時間を残念にしてしまうことはない。 そうだ、私もあの本を借りてみよう。 そんな小さな対抗意識とちょっとした優越感。 そんなのを持っていたから、いけなかったのかもしれない。 そんなものに気を取られていたから。 ドアに手をかけて、ガラッと引く。 その時にほんの少しでもためらっていたら、 違っていたのかもしれない、なんてもう遅い。 彼は私を振り向かなかった。 お気に入りの場所に座った彼は、 その右隣の机にほおづえをついていた彼女に微笑みを向けていた。 後ろ姿でも彼女だとわかった。 少ししか表情が見えなくても彼が笑っているのがわかった。 私の居場所が、壊れたのが、わかってしまった。 どうやって帰ったかは記憶に残っていない。 私はドアを開け放したまま、もときた道を、弾んだ気持ちで上って来た階段を 今度はしぼんでしまった私の心を抱えて駆け下りた。 そうしなければ、しぼんでしまったそれは、風に吹き飛ばされて、 もうずっと私のもとから消えてなくなってしまうだろうと、漠然と思っていた。 家に帰り着くと、私はいつものように制服を脱いで部屋着に着替えて、ご飯を食べた。 時には弟の学校の様子に耳を傾けて、母のお小言を笑って受け流した。 少しテレビを見て、お風呂に入って、宿題を片付けて、布団に入った。 学校で電源を落としていた携帯は、一度もつけなかった。 そして、暗闇の箱にくるまれながら、私はひとりぼっちで眠りについた。 次の日から私は彼を迎えに行かなくなった。 ときたま彼が休み時間に朝のホームルームの前にお昼の時間に、ちらりとこちらを見ることがあった。 それだけが私の唯一の慰めだった。 それでも彼は、教室で彼女と話すことがあっても、私に話しかけることは決してなかった。 だから私は今も彼を教室まで迎えにいっていない。 「いいの?」 突然一緒に帰ると言いだした私に、部活のメンバーはそう聞いた。 「うん。いいの」 そう答えた私に、メンバーたちは何も聞かないでくれた。 ただの喧嘩なのかと思ったのかもしれないし、彼女と彼のことを知っていたのかもしれない。 久々にあんたと帰れて嬉しーけどさ、とメンバーたちは笑ってくれた。 彼が隣にいなくても、私は私の場所がちゃんとある。 彼の隣が私の場所じゃなかっただけ。それだけ。 だから私のはーと、痛まないで泣かないで傷つかないで笑っていて。 「あの本はたまたま古本屋で見つけたんだって。  だから、そこに行ってもあるかわからないらしいよ」 彼と手をつながなくなって1週間が過ぎた。 彼女が彼と話し始めて2週間が経っていた。 私のはーとはあれからずっと雨模様だ。 しとしとはーとが降らす雨に私はなす術もない。 いつか自然に止むのを待つしかないのだろう。 「そうなの、残念。どうしようかしら。お店の名前聞いても良い?」 彼女と彼が朝一緒にいるのはいつものことになった。 一時期私と彼が噂になったことがあるが、 それよりももう少し羨望に近い形で彼らの噂は流れていた。 彼はもともと華奢なだけで端正な顔をしているし最近では愛想もいい、 彼女は可愛くて気だてがいい。 お似合いね。 この前なんかより。 やっぱりデマだったのね。 そんな聞こえもしない声が聞こえてきそうで私は耳をふさいだ。 「お店の名前を教えるのもいいけれど、この本を貸してもいいって。父が」 「ほんとに!?」 彼女が嬉しそうな声をあげる。 ああ、もう耳を傾けるのをやめて。 そう懇願するのに、私の言うことを私は聞いてくれない。 「うん。返すのはいつでもいいからさ」 「ありがとう!」 ちらりと見ると、彼女が本を抱きしめていた。 彼の本を。 彼女が。 強く。 抱きしめていた。 そのことにカッと血がのぼって息が止まるのがわかった。 私は椅子を蹴飛ばすと、トイレに駆け込んだ。 教室の様子なんて知ったこっちゃない。 トイレに駆け込んで、個室の壁をたたく。 呼吸がついてこない。 吸って吐き出す、そのタイミングが合わない。 過呼吸は何度か部活で経験していたから、慌てることはなかった。 私はトイレットペーパーを口に当てると、ゆっくりと息を吸った。 本当はビニル袋がいいけれど、そんなものはないし、そこまで重いものでもない。 私は呼吸が落ち着いてくると、トイレットペーパーをトイレに流して、手を洗った。 もう1限目は始まっているけれど、あの教室に戻ったら また過呼吸になるかもしれないと思うと、少し怖い。 私は教室と反対方向に歩き出し、保健室をめざした。

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