BACK TOP NEXT目覚めは爽快だった。十回に一回くらいしかないジャストタイミングで目覚めた朝のように清清しい。 寝たままきょろきょろと首を動かしていると、ひょっこりとベッドの脇から赤いものが飛び出した。 思わず上のほうをぎゅっとつかんでみる。 「いでっ!」 「わっ!」 悲鳴にぱっと手を離すと、頭を押さえながら赤い髪が浮上してきた。 「いたいやないかー」 ちょっと涙目になりながらも訴えかけてきたのは、小柄な少年だった。 目の色は黒いが切れ長で少し陰険な感じがする。 「そないな顔してるっちゅーことは、さてはしお、わいの顔忘れたんか?」 ひどいわー、としくしく泣きまねをしているその姿がなんとも似つかわしくない。 どこかで聞いたこのある関西弁。切れ長の目。栞のことをしおと呼んでいたのは、 「まさか……アネ!?」 布団を跳ね除けて起き上がる。 アネは人間でいうと小学生くらいの子供の大きさでやっぱり蛙よりは大きかった。 「そや! よかったわー。しお、具合はへーきか?」 「うん! ここは?」 家全体が木で作られているようで、一見するとログハウスのようにも見える。 部屋の窓にはすだれがかかり、やしの木を思わせるような小柄な木がドアを覆うように葉を茂らせていた。 どこかエスニック風な感じのする家だ。 「あー。起きましたか」 そのドアからスーツ姿のネスがお盆に急須と飲み茶碗を載せて入ってきた。 懐かしい日本の急須に心和むものを感じるが、いかんせん人と物と家のミスマッチさが微妙すぎて少し笑いが漏れそうになる。 「栞。もう一回休みますか?」 お盆をベッド近くの小さな机に載せながらネスがにこりと笑った。 「すみませんごめんなさいもうしません」 平身低頭布団の上で平伏す。 「黒紳士、あまり、イジメルのは、よくないと、オモウノだが」 アネがつっかえつっかえ片言になりながらもネスに抗議する。 「アネ、まだ僕には慣れてくれないんですか?」 深く息を吐くと、アネがびくりと体を強張らせた。 「いえ、責める気はないんですよ。むしろ、アネの家に栞を寝かせてもらえて助かりましたから」 ありがとう、とネスが久々の会心の笑みを見せると、アネの顔がぼーっと赤くなった。 ここはアネの家なのか。 「さて、栞。気分はどうですか?」 「すこぶる快調。向かうところ敵なしという感じです」 「はい、じゃアネょっとこのお茶を飲んで落ち着きましょうね」 きれいに無視されたー、と思いながらも、ちゃっかりお茶は飲む。お茶は普通の緑茶のようだった。 お茶菓子もあって、これがまた美味しい。どこかで食べたことあるかな。 「はい、息を吸ってー、吐いてー。よし、これを握ってください」 ほい、と握らされたものは、一回休みの元凶、石の笛だった。 「わぅ!」 微妙な悲鳴をあげつつ、それを布団の上に放り投げる。 頭を抱えるが、何も起こる気配はない。緑の光もあの女の人も見えない。 「これは……、なんで、これがあるんや?」 アネが恐る恐るその石の笛を持ち上げる。笛はアネに共鳴したようにきらりと一瞬光を放った。 「翡翠の姫……」 「ヒスイノヒメ?」 石の笛が先ほどより少し強く光を放った。ネスがその笛を取り上げる。 「翡翠の姫とは、キルカルトを創設した王の妻であったと言われています。 彼女も王に次ぐ魔力の持ち主で、王とは正反対の性質の魔法を持つことから 王と対となりこの国の建国に貢献した人物とされています」 ネスの歯切れの悪い言いように、何か違和感を覚える。 それをそのまま顔に出すと、ネスは珍しく眉をしかめ教えてくれた。 「彼女についてはあまり史実が残っていないのです。 物語的に語り継がれてきたものであり、時を経てどのように話が変化してきたかも定かではありません。 彼女が王の妻であったかも建国に貢献しかのかも本当かわからないのです」 ますます謎めいた人物だ。 「けどな、しお。この石が翡翠の姫がおったことの証として代々物語を紡ぐものたちを行き来してきたんや」 「この石は物語を紡ぐものたちが廃れていくのと同時に、この国に恩恵をもたらす宝として保管されてきました。 ところが、いつのまにか国宝を管理する蔵から姿を消してしまいまして。それが、つい三ヶ月前のことです」 ネスが石の笛をゆっくりと手に取る。反発するかのように、石がきらりと緑の光をすばやく発した。 「この石には良くも悪くも多くの噂があります。本当ならば魔法協会に言って管理してもらうのが妥当なのですが……」 魔法協会? 「そや、けど、今は、王の交代期や、シ」 「そうです。しかも、協会は今までにない混乱を抱えています」 「黒紳士……、まさか、あの噂、本当ナン、か?」 ネスはアネの問いには答えず、手のひらに載せた石を包み込むようにもう一方の手をかざした。 ゆっくりと石が浮き上がると、石に空いている穴を通る金色の何かがゆらゆらと揺れるのが見えた。 まるで糸を紡ぐように、細い金色のビニル紐のようなものが太くなってゆく。 ネスの手の中の光が消えると、石の笛には艶やかな金の紐が通っていた。 「これは、私の気で作った紐です。ちょっとやそっとのことじゃ切れないようにしてあります」 ネスは紐の両端を掴むと栞の首の後ろに持っていく。 「我は請う。両の縁を結び、両の縁が離れず、両の縁が決して切れぬ、固い戒めを作らんことを」 静かにネスが言葉を紡ぐと、首のうなじの辺りが暖かくなった。 肩こりにきくアロマテラピーみたいだ。電子レンジでチンとするやつ。やがて首から熱がひいていく。 「これをあなたに託します」 ペンダントのように石の笛が栞の胸元で揺れた。 「え、ちょ、ちょっとマスター!?」 慌てて首の後ろを探るが、結び目は見つからない。 ぐいっとひっぱてみても金の紐はゴムのように伸びただけで手を離すと元の位置に戻ってしまった。 「栞にはいろいろと話さなければいけないことがあります」 栞はゆっくりと顔をあげた。ネスの今までにない固い声に背筋が自然と伸びる。 「この国が抱えている問題を」 何かにすがりたくて石の笛を握ってしまった。手の脈がまるで石の笛の鼓動のようにも聞こえる。 「まずは……」 栞の喉がごくりと鳴る。 「お茶を飲みましょう」 「なんやねん!!」 微妙にかんだアネがぽーんとネスの肩を強くはたいた。 ちょっと小気味よい。 「まさかアネがつっこんでくれるとは、予想外ですね」 (や、どういう予想してたんだって!) 「栞の心の声つっこみです」 「まじめな顔して言わないでください!! アネ、放心しない!!」 ぼーっとしているアネに渇を入れる。アネははっとすると、頭を抱えた。 「わい、肝心なところでかんでしもーた」 「おしかったですね」 ネスの言葉にアネが床をごろごろと転がりまわる。 「わー一生の不覚やー!!」 ごろごろごろごろ。アネの服がクイックルワイパーのように埃を吸い取っていく。 栞はこめかみに指を当てて、すうっと息を吸い込んだ。 「止まれ!!」 ぴたっとアネの動きが止まった。 「終わったことはくよくよしない!!」 アネがしおしおと頷いた。わい、負けんわ、とアネが小さく呟いているのを尻目に栞はネスに向き直った。 「マスター、お茶をどうぞ。そして、話をどうぞ」 ネスはゆっくりとお茶を手に取ると、すだれのかかった窓を見た。 「そうですね、お茶の前に、ウィー、ちょっと魔法の練習をしましょうか」 「へ?」 ネスの言葉に石の笛と栞のまぬけな声が反応した。 「翡翠の姫は自分を使えとの御所望のようですが、ちょっとあなたは魔力が強すぎですので。 アネ、ちょっとだけ話しかけないでくださいね」 ネスがにこりと笑うとアネはぶんぶんと首を縦にふった。 ブーイングするように石の笛が緑の光を放つ。ネスはそれを気にも留めずに両の手を窓にかざした。 「いいですか? 僕と同じようにやってみてください」 なおも光を放つ石に気をとられつつも、慌ててネスと同じように手をかざした。 「手のひらにだけ集中してください。ウィーと聞いたときに反応する部分の熱をそこに分けてください」 栞は必死にウィーと言われたときに反応した部分を探った。胸の内側の心臓の横らへん。 石の笛の少し下のあたり。意識せずともその部分の熱を感じることはできた。 それを手の平に移動させる。一気に動かそうとすると、体の熱が反発してうまく移動してくれない。 「体の内側を伝って手のひらに集めるイメージを作るんです。一気に手のひらに集めてはいけません」 ネスの言葉を受けて、もう一度ゆっくりと熱を動かす。 「そうです、その調子。持ってきた熱を今度は形に変えます。それにはイメージが必要です。 今のイメージは窓にカーテンをつけること。栞は隣の窓に手を向けてください」 熱が逃げないように、手の平をゆっくりと動かす。 ほっかいろを手の平に張り付けているような感覚。ちょっとでも気が抜けたらそれが剥がれ落ちてしまいそうだ。 「そして、窓にカーテンがかかっているのを想像してください。 何色で、手触りはどんなで、大きさはどれくらいか、できるだけリアルなイメージを作ってください」 栞は頭の中でカーテンを想像する。風にはためく、モスグリーンのカーテン。 蛙みたいな色がいい。端にレースがついていて、それが時々太陽の光を透かす。通気性の良い軽い布。 「そのイメージのまま、そのカーテンを窓に貼り付けるんです」 ネスの両手が窓の枠にあわせて、左右対称のコの字型を描く。 ゆっくりとその布の感触を確かめるように。栞はじりじりとした動きで窓の枠を宙になぞった。 「そして、精霊に請い願うんです。この力を使うことを許してもらうんです」 ネスは手を窓に向けたまま、ゆっくりと息を吐くように言葉を紡いだ。栞もその言葉を反芻する。 「いいですか、一緒に唱えますよ。手に力を込めてください」 ぐっと手に力を込めると、熱が呼応するようにぐんと熱くなった。 「「我は請う。光を遮り、他者からの眼を拒み、この空間を守る、しなやかな布を作らんことを」」 窓枠の端から中央に向かって徐々に窓全体が光っていく。 ネスは青の、栞は白の光が窓全体を包み込むと、ぱんとはじけた。 思わず目を瞑ると、まぶたを上げたときには、既にその窓にゆらゆらと揺れる布ができあがっていた。 「まあまあ、最初にしては上出来ですね。蛙色なのはどうかと思いますけど」 栞のカーテンは想像していたよりも、ずっと蛙に近い色をしていた。レースもついているが少し黄ばんでいるように見える。 一方ネスのカーテンは栞に教えながらにも関わらず、薄い桃色の生地に金糸で繊細な刺繍の施された奥ゆかしいカーテンだった。