BACK TOP NEXTネスの家を出ると、外はまだ明るかった。思わず手に庇を作って空を仰ぎ見た。どこか違和感を感じずにはいられない。 栞がじっと空を睨みつけていると、ネスが栞の前に立った。ネスの頭で空の半分が栞から隠れてしまう。 「ちょ、マスター。って……、あれ?」 庇を作っていた手をとって、栞は自分に影が出来ていないことに気が付いた。太陽が作るはずの影が。 「そうです。キルカルトには太陽は存在しません。けれど、ちゃんと朝も昼も夜もあります。時には雨だって降ります」 一様に光の加減の変わらない外の世界はのっぺらぼうを見ているようで、もどかしい感じがする。 「でも、太陽がないのに暗くなったりなんて……」 理科で習った話を思い出す。そもそも太陽がない時点で人間て生きていけないはずじゃ……。 頭を抱えてうんうん唸る栞にネスが笑い声をあげる。 「まあ、そうゆうものだとでも思ってくださいよ。この世界では、空自らが暗くなったり明るくなったりするんです。 まるで映画のスクリーンみたいにですよ。 この空をずっと飛んでいくと、人間界に着くと言われていますが、誰も成功した人はいません。 一説では、空の大気がこの世界を丸く覆って人間界と接触していて、 ちょうど透明の膜みたいになって人間界の温度を伝播しているとか。 今この世界の科学者がわかっているのはここまでですね」 空が暗くなる? 大気? 伝播? もはやわかるような単語までもが栞の中でちんぷんかんぷんだ。 (それで、結局?) 目まで一緒に回ってしまうんじゃないかと思うほど、頭の中をひっちゃかめっちゃかしていた栞が辿り着いた答えがこれだった。 ふうっとネスがこれみよがしな溜息をつく。 「まあ、ここでは普通に人間界と同じに四季があって気温があって息が出来ることがわかればいいですよ」 呆れ顔のネスに栞はちょっといじける。小石でも蹴って、へーんいいんだもーん、と言ってやりたいくらいだ。 「……やってもいいけど、置いていきますよ?」 じろりと栞を見返したネスに、えへ、とひとまず可愛く笑って見せた。 「さー、行きましょう、行きましょう!!」 指を前に突き出して栞はずんずんと進んだ。 「やー。もう、マスターったら置いて言っちゃうとか言わないでくださいよー。迷子になったらどうするんですかー」 大またに歩く栞に後ろから声がかかる。 「そっちじゃないですよー」 「……」 栞は、おばあちゃんアタシ負けない、と心に呟いて引き返した。 キルカルトの街は、日本のちょっとした田舎だよ、と言われれば納得するような場所だった。 ネスの家を出ると、正面に公園があり、子供たちがきゃっきゃきゃっきゃと動きまわっている。 栞の住む世界と違うことと言えば、彼らの遊びが、鬼ごっこでも野球でもない、ということだ。 「……マスター。あれは、一体何の遊びですか?」 公園を横切りながら、栞は宙に浮く空き缶を見やった。周りには、宙に浮く男の子たちが三人それを囲んでいる。 地面には大きめのスーパーボールくらいのゴムボールみたいなものを持った子供たちと、 彼らを捕まえようとする子供たちが走り回っていた。 「なんだか、浮いてる子達、光ってません?」 なんとなく、体全体を覆うように青く薄い膜に覆われるような光を発しているように見える。 目を凝らしてみても、それは変わらなかった。 もはや、人が宙に浮くという様子も栞には、ご飯には梅ねってくらいの常識になってしまった。 「……そんな、ところまで」 ぼそり、と呟かれたネスの言葉に、栞は思わず「へ?」と聞き返す。 「何ですか?」 ネスを見るものの、目の端には子供たちがゴムボールを投げたり、 それを何かではじいたり、追い掛け回したり、ひっちゃかめっちゃかになっている姿がうつる。 「あれは、まあ俗に言う、どろけい、みたいなものでしょうね」 「どろけいって……。あの警察と泥棒になるやつですか?」 栞が知っている「どろけい」は、宝を守る警察と泥棒のかくれんぼ鬼ごっこだ。 宝を盗めたら泥棒の勝ち。泥棒を全員捕まえられたら警察の勝ち。 目線を子供たちの方に戻す。 確かに缶を守ったり追いかけたりしているのが警察で、逃げ回ったりゴムボールを投げたりしているのが泥棒だと思えば……。 目を凝らしてみたものの、やっぱりひっちゃかめっちゃかになっているようにしか見えない。 「どたばたドッチボール鬼ごっこ。ってとこにしか見えないです……」 片手で悩ましげに顔を覆う栞に、ネスはちょっと笑ってしまった。奴が最初につけたのも、その名前だ。 「まあ、そう見えますけどね」 ネスにとっては懐かしい遊び。もともとある遊びをみんなとやりたくて。 「そうゆうのはうまかったからなー」 つい、口から漏れてしまった。栞が「はい?」とネスを振り返った。 「あれは、特異体質でも魔法体質でもみんなで遊べるようにした遊びなんですよ」 ネスは空中に浮かぶ缶を指差す。 「あの缶が宝物です。特異体質と魔法体質の人が半々になるように分かれて、 警察役の方があの缶を守りながら泥棒を追いかけるんです。 で、そのときに缶を守るのは魔法体質の人で、三人で缶を浮かせて守ります。残りの人は全員地面です。 魔法は使っちゃいけません。警察が追いかけて、泥棒は逃げたり隠れたりしながら、あのボールを缶に当てるんです」 栞に見えている薄い青い膜が防御の魔法だとは教えなかった。 ネスにでさえ、その膜は意識を集中しないとみえるものではない。 公園を後にしながら、栞が子供の叫び声に振り向いた。 「あ、缶当てられたみたいですよ!!」 ネスのスーツを軽く引っ張る。振り向くと、ボールを持った子供たちが一人の男の子を取り囲んでいた。 少しはにかんで笑うその笑顔がすごく、似ている。 「行きますよ」 栞はネスに促されて、少し幅の狭い道路をゆっくりと歩きだした。 公園の前の道をまっすぐに進んで、十字路を曲がると、そこは下町の商店街といったところだ。 人間界と違うのは、ちょっとゲームにでも出てきそうなお店がそこかしこで「勇者の剣」なんてのを堂々と売っていること。 お昼を過ぎたその通りはちょっとした賑わいを見せていた。 「うひゃー。見てくださいよ、マスター。魔女の杖とかありますよ!!」 まるで傘の押し売りのように、つぼの中に杖が無造作に入れられていた。 すべて同じに見えるそれに「大特価!! 350GG」と札が立てられている。お金まで、それっぽい。 「はい、よってらっしゃいみてらっしゃい。見るならただただ!! 今日仕入れたばかりの「魔法の笛」。 噂では、生産量が少ないとか。買うなら今だよ!!」 ただ、冒険ものロールプレイングには欠かせない武器屋は、どっちかというと八百屋に似ていた。 お店は中まで続いているものの、テレビで見るような刀やらただの木の棒やらはたまたへんてこりんな形の針金やらが 道路に出張った棚に展示されるように置かれている。 「お、そこの綺麗なおにーさん。誰かと思ったら、ネス坊じゃないか」 八百屋、もとい武器屋の店主はつるりとしたおでこをなでつけながら、ネスの名を呼んだ。 (ネ、ネス坊?) 思わず口から出てしまいそうな笑い声を手でむりやりのどの奥に押し込んだ。 「これはこれは、声がでかいのが取り得のつるぴかオヤジさん」 忘れずに栞をじろりとねめつけてから、ネスは朝日に輝く太陽くらい眩しい笑顔を見せた。 店主の親父さんのおでこが一緒に光って見えそうだ。 (く、くろい……) これでもかというほどすっぱりと切りつけた言葉を、親父さんのおでこはぴかりと跳ね返したらしい。 大声で豪快に笑い出すと、ネスの肩をばんばんと叩いた。 「やー。お前さんは変わらないなー。このつるぴかのおかげで、うちの武器たちはいつもごきげんさ。 なんだい、なんだい、可愛いお嬢ちゃん連れてさ。見かけない顔じゃあないかい?」 つるぴかの眩しさに一瞬目を細めた。親父さんの陽気な瞳が栞をグリグリ凝視する。 「ただの社会科見学ですよ。魔女になったばかりなんです。ウィー?」 一瞬誰のことを言っているのかわからなかった。 それなのに、体が勝手にぴくっと反応する。栞の体の奥で魔女の血が返事をしたみたいだ。 ほら、ご挨拶は? という顔でネスが栞の顔を見る。 どうしていいものやらわからずとにかく口をひらいた。 「こ、こんにちは」 どんだけ幼稚園児だよ、と一人心の中で泣きながら、頭をさげる。 「はっはっは。挨拶は基本中の基本だからな。このつるぴか親父はな、グレンてゆうんだ。よろしくな、ウィーちゃん」 優しい目で見るグレンに栞ははにかんでみせる。 (眩しいなんて、ちょっとでも思ってごめんなさい) 心の中で謝っておいた。隣でネスが笑っている。 「ん? どうかしたか?」 グレンの問いかけにネスは手をふることで答えたが、まだ声を出すことはできないようだ。 笑っているネスを見ないように、栞はふいと横を向く。 (あれ?) 目の先には鈍い光が見えた。グレンが立っていた場所の後ろ側。木の箱が光っている。 「あ、ウィー?」 ネスが後ろで声をあげるが気にしない。光に近づいてみると木の箱にはたくさんの笛が入っていた。 けれど、どれ一つとして同じ形の笛がない。ホイッスルみたいだったり、小さいリコーダーみたいだったり。 「お、ウィーちゃんは魔法の笛に興味がおありかな? 今なら大特価。お得なお買い物だよ」 知り合い相手にさえ商売根性を見せるグレンにあっぱれだ。 栞は木の箱をがさごごと漁った。光っているのはもっと奥のほう。 「あ……」 中を引っ掻き回していた手が止まった。鈍い光。その光は淡く優しく栞を照らした。 中から引っ張りあげる。 「石?」 手のひらに乗るくらいの石ころに小指が入る程度の穴があいている。 少し緑がかっているようにも見えるけれど、それはどこにでも転がっている石と同じだった。 その石が、淡く白く自らを発光させていた。 ネスが隣に来て息を呑むのがわかった。 「グレンさん、これいくらですか?」 栞が笛を両手に乗せながら、グレンにたずねる。 「笛は一律300GGだけどもさ」 グレンも栞の手を覗き込むように見た。 「300GGってどれくらいなんですか?」 ネスを見上げると、彼はグレンを見ていた。 「これが300GG なわけないでしょう。どうにかしてまぎれてしまったんですか?」 んー、とグレンは額を撫でつけながら空を仰ぐ。不覚にも靴磨きを思い出してしまった。 きゅっきゅと今にも音が鳴りそうなほどに、グレンがおでこをこすればこするほど、光具合に磨きがかかる。 「俺にもわからないんだけどもねー。でも、あいつも何だかウィーちゃんを気に入ってるみたいだし。 武器が惚れ込んだ奴に買ってもらうのが武器屋の冥利に尽きるってもんよ」 300、とグレンは指を三本つきだした。 「……わかりました。僕の名義落としでいいですか?」 「まいどあり!! 印はここに押してくれ」 栞のよくわからないところで話が進んでいるようだ。 グレンが何やら透明の箱みたいなものをポケットから取り出してみせた。 ネスがネクタイピンをとりはずして、鮮やかな青の石が付いているそれを箱に向ける。 青い石がちらっと瞬いたかと思うと箱がぴかっと青く光った。 まるでスーパーで使うバーコードリーダーだ。 「お買い上げありがとうございました」 グレンがにかっとネスに笑っておじぎをする。栞を振り向くと、彼は瞳に優しさをにじませて栞の頭をぽんぽんと撫でた。 「ウィーちゃん。そいつを大事にしてやってくれな。心を通わせれば通わせるほど、そいつはウィーちゃんを守ってくれるよ」 栞は神妙に頷いて見せた。石を両手で包んで、ぎゅっと握る。 「はい」 ほんのりと手の中が暖かくなる。指の隙間から、まるで返事をするかのように鈍い光が瞬いた。 その様子に満足そうにグレンは頷いた。 「それじゃあな」 ネスの肩をぽんと叩くと、グレンは他のお客に声をかける。おでこがぴかりと光って彼の笑顔がお客さんの顔を和ませる。 「行きますよ」 ネスが栞を促す。ぼーっと光を見つめていた栞は「あ」と声をあげた。 「お、お金。お金いくらですか?」 さっきのやり取りは良くわからなかったが、ネスがお金を払ってくれたようなことはわかった。 大またで歩き出すネスの横に追いつくように小走りで着いていく。 「いいですよ」 まっすぐに前を向きながら、ネスは栞の言葉をぴしゃりとはねのけた。 「え、いやでも、そんな買ってもらうなんて」 かばんは向こうの世界に置いてきてしまっているが、お財布には三千円くらいなら入っている。 家に戻ればお正月のお年玉もまだ引き出しでだんまりを決め込んでいるはずだ。 「いや、そうではなくてですね。んー。キルカルトでは、お金はあってないものなんですよ」 ネスが十字路でゆっくりと辺りを見回した。『氷にします。水1リットル20G』と書いてあるお店の看板を右に曲がる。 ネスの隣に立つと歩くスピードが思いの外ゆっくりとなっていた。 「国を担っていくには『お金』の存在が必要です。 けれど、キルカルトでは誰もが不自由なく暮らせるくらいのお金があればいいのです。 住人はざっと数えても東京に住む人の三分の一程度。 そこで、人々が考えたのが、実体のないお金です」 「実体のないお金?」 顔は犬なのに体は猫で羽の生えた動物が栞の横を駆けて行った。 もうあんまり驚くこともない。心の中で『犬猫』かな、と名前をつけた。 「あれは、狛猫(こまネコ)です。キルカルトでは、日本で言うところのお札とか百円玉とかが存在しません。 ここでは、すべて自分の口座みたいなものを持ち、そこからお金が引き落とされるのです」 ネスがネクタイからピンをはずして栞に渡した。 「その青い石の部分は僕が名前と一緒にもらった玉の一部です。これがまあいわゆるクレジットカードになっています」 ネクタイピンにはまった青い石は晴天の空を思わせる色だった。 銀色のネクタイピンに圧倒的な存在感を作っているのはこの青い石だった。 「これをさっきグレンが持っていたカードリーダーみたいなので読み込んでお金を払ったことにしているんですが、 そのお金の管理をしているところがありましてね。お金を循環させています。 誰それがいくら使った。誰それがいくら貰った。というようにですね。 そして、そこでは誰もが不自由なく生活できるようにお金を分配しているんです」 栞からネスがピンを受け取る。 「だから、お金を払ったといっても、僕がお金を使ったという事実を示すことでしかないんですよ。気にする必要はありません」 何だかそれこそ魔法見たいな話だと思えた。小さい頃一人で、リカちゃん人形でお店ごっこをしたときの感じだろうか。 自分がお客さんで自分が店員だから、お金を払うのももらうのも自分。 「まあ、そんな感じですよ。管理するお金はキルカルトではそんなに多くありません。 儲けようという人さえいなければ、案外とうまくいくし楽な方法なんですよ。 ちょっと面倒ですけれど、今度ウィーも口座を作りましょうね」 動き回る花が並べられている花屋が横目に見える。栞は笛を弄びながら他人事のような心地で頷いた。 いきなり、人生ゲームの中に放り込まれたみたいだ。職業は魔法使い。 お金は銀行の役目になった人が管理。今のコマは一回休みといったところだろうか。 「くだらないこと考えてないで、ちゃんと魔法使いとしての自覚を持ってくださいね」 ネスの言葉にえへらっと顔をゆがませるように笑った。栞独特の苦笑いだ。 果たして一人前の魔法使いになれるのかはなはだ怪しい。それでも神妙に頷いて見せようと顔を下に向けようとした。 「へ?」 栞の口から間抜けな声が漏れる。指の隙間から鈍い光がこぼれていく。 ほんのささやかな光だったそれは、徐々に大きくなって栞の目にも眩しいくらいの光の束を作り出していた。 光は四方八方に広がり、空を突きぬけ、アスファルトを光で埋め尽くした。 手の中から生まれた光が色を変え栞ごと包み込もうとしている。ネスが横で口を動かしているのに何も聞こえない。 〈我が選びし小さき魔女よ〉 声が頭の中に響いた。栞の周りの光は半透明の緑色へと変わっていた。 栞のいる空間すべてがその色で染まってしまったかのように周りには緑の光しか見えない。 「誰?」 緑の空間の中で栞は首を巡らせた。声がこわばり、喉がごくりとなった。 〈案ずるな。我はお主を傷つけたりはせぬ〉 「誰なの?」 栞の声に緑の空間が揺らいだ。 〈我は石の笛に宿りしもの。小さき魔女よ。どうか聞いてほしい〉 「石の笛? あの光はあなたのものなの?」 ゆらりと光の束が崩れた間からネスの顔が見えた。 〈黒紳士か。この姿では分が悪いな〉 「マスターを知ってるの?」 〈小さき魔女よ。どうか、どうか闇の子を……〉 「ウィー!!」 栞を囲んでいた光が消えた。光の束の間から出てきたのはネスだ。 両の手を構え、スーツの裾がゆらりと宙に浮かんでいる。 「やみのこ……?」 体から力がふっと抜けた。地面に倒れなかったのは肌色の棒のおかげで、それは思ったよりも逞しい形をしていた。 頭の奥で小人が飛び跳ねているのか、がんがんと脳に揺さぶられているような痛みが走る。 最後に聞いたのは、「一回休みですか……」というネスの遠い声だった。