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7.腹黒紳士は料理が得意

  「キルカルト? ここが魔法の国、なんですか」  床に立って自分が始めて靴を脱いでいることに気づいた。  靴下ごしに伝わる床のひんやりとした感触が心地よい。 「そうです。今日も明日もどうせ暇でしょう?   連れてきてしまったほうが何かと都合がよいかと思いましたので」    何か予定があったらどうするんだ! と思ったものの確かに  スケジュールはたたけばカンとなるであろう、すっからかんなので何も言い返せない。    ネスは栞の手を持ったまま、歩き出した。引っぱられる形で栞も後についていく。 「ひっろー」  ネスの部屋のドアを出ると、そこはキッチンだった。  中央には六人掛けのダイニングテーブルが置かれ、  栞から見て右側にはカウンターのついた調理場と呼べそうな場所がある。  部屋の隅には何か本の入ったラックと観葉植物が肩を寄せ合ってたたずんでいた。 「適当に腰掛けてください。あと、何か食べますか?」  ネスは栞の手を放し、腕まくりをしながら調理場へと消えていった。  白を基調としたその場所はやはりネスには似合わない。 「え!? 何か作ってくれるんですか?」  ネスが包丁を握る図を想像してみた。白が似合わないのと同じくらい、似合わない。 (マスターに包丁。握らせてみたいかも!)  ひとり笑う栞に、ネスの低い声が突き刺さる。 「串刺しと八つ裂きとどちらがお好みですか?」 (…………)  背中にぞくりと悪寒が走った。 「い、いやですねー。ちょーっと想像しちゃっただけじゃないですか」  努めて明るい声で笑い飛ばす。姿が見えない分、恐ろしい。  包丁が飛んできても大丈夫なように、カウンターから一番遠くの席に座った。  がさこそと何かを漁る音がする。身を強張らせて、じっと調理場の様子を伺った。 (でも、魔法使うのかな?)  包丁などというものは使わないかもしれない。それなら安心だと身を緩ませる。  音がやんだ。ダンッとひとつ大きな音が響いた。体がびくりと震える。  ダンッ ダンッ ダンッ ……カンカン ジュ― …チンッ    ひとしきり音が鳴り止むと、お盆に料理を盛った皿を載せてネスが調理場から出てきた。  包丁は……置いてきたようだ。  あからさまにほっとする栞を尻目に、ネスは手際よく食事の準備をする。  上着は脱いでいるもののスーツまで着ているので、まるで執事だ。 「おいしそうー」  机の上に置かれたのは、ボウルにこんもりと山を作っているシーザーサラダと、  目玉焼きの乗った食パンだ。 「私、一度これ食べてみたかったんです!!」  某有名アニメを見たときからの栞のささやかな夢だ。 「どうぞ食べていいですよ」  栞の向かい側に座ると、ネスが栞に促した。自身は既にサラダをより分けている。 「いただきまーす!」  お辞儀をひとつして、パンを頬張る。口の中に半熟の黄身が薄い膜を破ってとろりと溶け出す。  程よくバターの染み入ったパンに栞は知らず微笑んだ。 「おいしそうで何よりです」  ドレッシングのかかったレタスをフォークに差しながら、ネスは栞のそんな様子を見て笑った。  今、彼が本当は魔法使いで王の二次候補なんです、と言ったところで誰も信じないだろう。  いつも感じるネスの雰囲気よりもずっと柔らかいものを感じる。 「はおんと、おひいへふ」  頬張りながら声に出す栞に苦笑しつつも、  自分の作ったものを喜んでもらえたことに久しぶりの嬉しさを感じた。  以前は頻繁にあったこんな機会もぐっと減ってしまった。  今度はサラダをつつきだした栞を見てネスは目を細めた。  この状況を変えてくれるかもしれない少女。  依頼人にはまだ言っていないものの、ネスは栞をどう巻き込もうか、  このところそればかりを考えていた。  馬鹿げたあの人物を呼び戻すために。 「栞。これから外に出ますが、その前にここでのことを少しお話しておきますね」  話を切り出したネスに栞の手が止まる。  口に入れかけていたレタスの刺さったフォークとネスを交互に見つめ、フォークを皿に戻した。 「食べながらでいいですから」  悲しそうな目をする栞に仕方なく許可を出す。 「やった!」  栞はレタスを口に頬張ると美味しそうに食べ始めた。  これを見たら行儀が悪い! と怒り出すだろう依頼人にネスは心の中だけで謝りつつ、話を続ける。 「この国では、栞は魔法使いの名前で過ごしてもらいます。  間違っても自分のことを栞だなんて言わないこと」  もぐもぐと口を動かしながらも栞が頷く。 「ウイッチではちょっと馬鹿にされるかもしれないので……ウィーとでもしましょうか」  にっこりと笑ったネスにむうっとほっぺたが膨らむ。  ごくりとレタスを飲み込むと、栞は口を開いた。 「名前聞かれたらウィーだとでも言えばいいの?」  あごに手を添えつつ、んーとネスが考える仕草をする。 「まあ、愛称だとでも言っておいたほうがいいかもしれませんね。  名前が短いってことはイコール特異体質だってことになってしまうので」    特異体質、という言葉に栞はレタスをフォークにさすのをやめネスに向き直った。 「そう、それ。アネのときも思ったんですけど、特異体質って一体何なんですか?」  栞は思い出したように時たま敬語を使う。  ネスは栞の敬語が年上に対するものだとわかってはいても、  何か距離があるようであまり好きではなかった。  弟子は少しくらい生意気な方が可愛いと言った自分の師匠を思い出す。  ほんとうですね、と心の中で呟きながら、ネスは栞にちょっと難しいと思いますが、  と言って説明を始めた。 「特異体質って言うのはですね、いくつか種類があるんです。  まずは、魔法を使う力はないもののその体に何かしらの能力を持っているもの。  これは瞳の場合が圧倒的に多いですね。彼らは魔法でもやれないことができたりするので、  国でも重宝されています。  次は、魔法空間で存在し続けられる人、です。アネは、この分類ですね」 「魔法空間?」  じっと聞いていた栞が口を挟む。 「魔法で作った空間、なんですけど。そのまんまですね。  栞が名前をもらった場所、覚えていますか?   名もなき場所、と言うのですけれど」    栞がこくりと頷き返す。アネが確かにそんなことを言っていた。 「あそこは大昔に魔法で作り出された空間なんです。  それを呼び出すのが、僕が使った魔法で、儀式なんですけれど。  本来あそこは人間が長時間いられる場所ではないんです。  魔法の負荷が確実に体にかかるうえに、五感の利かない空間なんで。  しかし、魔法空間で存在できる人というのは、そこで暮らすことさえできます。  魔法の負荷を体に感じないらしいんですが、詳しいことはわかっていません」  そこまで説明されて、栞がはて、と首を傾げた。 「五感が利かないって言ってましたけど、見えてたし、触角もありましたよ」  五感が成り立たないということは、アネの姿も見えてないし、  アネの腕をぶんぶん振り回した感触さえも覚えているはずない。 「それが彼らのまた特別な点でしてね、  自分の存在している時は、その空間を自由に相手に見せることができるんです。  相手の記憶にまでアクセスして、ね。幻術魔法と同じ効果がありまして、  見えていても触れられていたとしても錯覚とか思い込みに過ぎないんですよ。  彼らは、案内人として国の機関に入っているんです」   徐々に頭がついていかなくなる。栞はレタスをつついたまま、考え込んだ。 (えーっと、幻術っていうのは、あの忍者とかでよくあるやつだよね。  で、それをすると、思い込みでそれが見えるような気になって。  じゃあ、私が見たのも全部、幻? ん?)    混乱する栞に、ネスはだいたいあってますよ、と言った。 「幻ではありますが、まあアネと一緒に作り出したもの、って感じですね。  何にもない魔法空間に干渉できる人、とでも思ってください。  で、最後の人たちが、何もない人たちです」 「何もない人?」  ネスは栞の質問には答えずに調理場へと消えた。その間にレタスを頬張る。  戻ってきたときにはネスの手にポットとカップが握られていた。 「普通の人間です。魔法使いになれなかった人たちのことですよ」  金のラインの入った白いカップは栞の家にあるどのカップよりも華奢に見えた。  丁寧に扱わないとぽきりと取っ手が取れてしまいそうだ。 「キルカルトでは、そういう方たちのことも特異体質と呼ぶんです。  ごくまれに、魔法使いにならない人もいますが、それも同じですね」  掴めそうなほど真っ白な湯気を出しながら、カップに液体が注がれる。紅茶のようだ。 「どうぞ」  入れたての紅茶を栞に勧める。  ありがとうございます、といいながらカップを手に取った。  まだ熱さを残すカップにふうと息を吹きかける。 「私、こういうことも全部魔法でやるのかと思ってました」  ゆっくりと口に紅茶を含んだ。ほんのりと甘い香りが鼻をくすぐる。  湯気が目に入らないように瞼を閉じた。 「そんなことしている人、見たことありませんね。  魔法は結構消耗しますし、それに生活することって娯楽と一緒なんですよ」 「娯楽?」    カップから口を離して聞きなおした。 「遊びと一緒です。料理も掃除も洗濯も、しなくていいとなると三日で退屈しますよ。  生きてる気がしませんしね」    ふうん、と相槌を打つ。机の片付けなんて、  しおりにとってはテストの次くらいに嫌なものだけれど。 「ま、基本的には魔力不足ですしね。そんなことに使うくらいなら、  違うことするって人が多いんですよ」  ネスが紅茶の香りを楽しみながら、カップに口をつけた。  洗練されたような優雅さを感じさせる。  優雅だ、という言葉を使うのも栞の人生のなかで初めてのことだ。 「あとは、そうですね。あまり向こうと変わらないと思うんで、  特に困ることもないと思うんですけれど」  何かありますか、と訊くネスに栞はカップを手に持ったまましばし考えた。  違う国に行くときに困ること。 「なんだろ? 言葉、とか? 伝わりますか?」  思いついたままに言ってみる。ネスに伝わっている時点で大丈夫な気がするが念のためだ。 「ああ、言ってませんでしたっけ。ここは、日本向けの魔法の国なんですよ。  僕だって英語なんてカタコトですし」 「日本向け?」  日本語バージョン魔法の国、とでも言いたいのだろうか?  訝しげに眉をひそめてみせる。 「魔法の国っていうのはいくつかありましてね。地方に分かれているんです。  魔法使いっていうのは、もともとみんな普通の人界で暮らしてきた人たちなんですよ?」 「普通の、人? 私みたいな?」  栞は自分を指差してみる。数日前までは暢気に暮らしていて、  祖母である絢子がいなくなったことが唯一の悩みという、  そんな栞が魔法使いになってしまった。それと同じ、ということだろうか。 「ええ。ここで結婚して、子供を生むってこともありますけれど。  日本人の間に生まれてますから、やっぱり純日本人ですしね」 「え? じゃあ、マスターも?」  空飛んで見せたり、次期王候補の一人だったり、  腹黒だったりするネスも元は普通の人なのだろうか。  栞の質問にネスはにこりと笑うだけだった。 「さあ、じゃあ食後のお散歩にでもいきましょうか」  立ち上がって食器を片付け始めたネスに栞はそれ以上聞けなかった。  ネスの瞳が一瞬すごく寂しそうに歪められたのを栞は見てしまったから。

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