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4.おしゃべり蛙はあぐらをかく

   そっと目を開けると、そこには金色の絨毯が広がっていた。辺りは静かだ。  栞の足元は金色の光を放ち、その光が音すらも吸収しているようだ。  光そのものが生きているようにさえ感じる。  ゆらりとその絨毯が揺れた。何かが絨毯の下に潜り込んで動き回っているようだ。  それとも、本当に光が動いているのか。  カーペットの波は栞の方へ円を描くようにして近づいてくる。  後をつけたら螺旋状の模様が浮かび上がるだろう。  計算したかのように、その波は栞の目の前にぴたっと到着した。  波は上のほうへと膨らみを増してゆく。  徐々に縦に大きくなっていく波は、栞の膝の高さまで来るとむずむずしだした。  何だか子供が布団の中でぐずっているみたいだ。  そろりそろりと手をのばす。栞の手が金色の繭に触れようとした瞬間―― 「ボンッ」  光が弾けた。四方に飛び散る光に思わず栞は顔をかばう。 (ボンッって……。効果音自分で言ったんかい!!) 「自分で言わな、なーんか迫力にかけるやないか」  声がする。ネスのものでもましてや自分のものでもない。  硬くつぶっていた目をそっと開ける。  腕の隙間からは何も見えない。  光は既に消えていた。腕を顔から外し、きょろきょろと辺りを伺う。 (声がしたはずなのに……)  栞以外に人らしきものは見当たらない。 「こっちやって! こっちこっち」  男の子の声だ。まだ十代くらいの声。栞の、そう、栞の足元から聞こえてくる。  下を向いた。そこにいたのは―― 「か、かえる!!!!」  金色の蛙が、ぴょんぴょんと跳びながら栞を見上げていた。 「おう! やっと気いついたかい!」  蛙は栞の周りをやたらにぴょんぴょん跳んでいる。  放心状態の栞のことはお構いなしだ。 「おう、そこの嬢ちゃん、ちいっと手貸してくれんかい?」 「て?」 「そやそや、ちょおっとその可愛いおててをな、上向きに、  ああ、ちゃうちゃう手のひら上に向けてえや。  そや。それをもうちょい前に出してくれん? ん、オッケー。ほな、行くで」    蛙は満足そうにそう言うと、ぴょんと高く跳ね栞の手に飛び乗った。  栞はといえば、手のひらを上に向けて自分の目の前に出した格好だ。 (ほんとに、「手」を貸してほしかったんだ)  蛙はよっこらしょ、と呟きながら栞の手の上であぐらをかく。 (かえるがあぐらかいてる) 「あぐらくらいかかせてな。なあんも迷惑やないやろ」 (わー。かえるが文句いってる。カッカしてるとかえっちゃうぞー。  なーんつって。あははー) 「さぶ。嬢ちゃん、もうちょいましな冗談いわんと。彼氏もできんぞー」  蛙はあぐらをかいたまま呆れた声で言う。  金色の蛙。  あぐらをかく蛙。  しゃべる蛙―― 「ってなんで、かえるがしゃべってんのおー!!!?」  栞の声に金色の絨毯まで毛が逆立ったようになった。蛙が栞の手から落ちる。  ぼとっとするはずの音は絨毯が吸収してしまった。 「しかもしかも、金色だし、あぐらかくし、なんかマスターと同じに心ん中読むし」  頭に手をやりぐしゃぐしゃと髪の毛を掻き回す。 「そりゃあさ、そりゃああのエセ笑顔男がさ、  魔法使いだってのもわけわかんなかったけどさ、でも。かえる?   かえるがしゃべってる? あぐらかいてる? かえるは緑だろ。  ってか、しゃべんないよね? っていうかっていうか」 「しゃっべちゃわるいんかい」  蛙と栞の声が重なった。半狂乱の栞の耳にぶすっとした声が届く。栞の動きが止まる。  恐る恐る下を見ると、ひざを抱えながら蛙が金色の絨毯に「の」の字を書いていた。  背中に哀愁がただよっている。   「そりゃーさ、わい金色だけんどもさ。そんなのいいやんけ。  金色になりたかったんやからいいやんけ。蛙があぐらかいて何が悪いん?  その格好が一番楽なんや。人間はしゃべっていいのに蛙はいけないんか!?   わいがしゃっべったっていいやろ!」    背中越しに蛙の目にきらりと光るものが見えた。栞はしゅんとなる。泣かせてしまった。 「ううん、いい。しゃべっていいし、金色でいいし、あぐらかいていい。  驚いたけど、確かにすごい驚いてわけわかんなかったけど、でもね」    そこですーっと息を吸う。蛙は背中を向けるのをやめて座ったままこちらを見上げた。 「たっのしいー!!!!」  こてんと蛙が横に倒れた。 「や、しゃべるかえるだよ! かえるがしゃべってあぐらかくなんて、もうサイコ―!   夢見てた甲斐があったわ。まじでいるんだもん。世の中捨てたもんじゃないよね。  あ、ちょっと何寝てるの。ほら起きて起きて。あ、私しおる。  ねえ、あなたの名前は? あ、握手して握手!」    ぶんぶんと細く小さな蛙の手を握り、大きく振る。  蛙自身が振り回されていることに栞は気づくよしもない。 「はー」 「は?」  なおも振られつづける手。上下する蛙の体。 「はなせー!」  ぱっと手が離れた。ぼとっと落ちた。音はしないけれど。  頭から落ちた。二度目の墜落だ。 「ば、ばか」  絨毯に顔をつけたまま呟いた声は栞には届かなかった。 「え? 何? ごめん。痛かったよね?」  栞がゆっくりと蛙を起こす。  しゃがんだまま蛙の顔を覗き込むように絨毯に顔をくっつけた。 「……大丈夫や」 「そう。よかった。あんなに振り回したら腕ちぎれちゃうもんねー」  なんていうか、それだけではなかったものの、まあよしとしよう、と蛙は心の中で決着をつけた。  栞のほっとした顔があまりにも嬉しそうだから。  栞の顔を絨毯がさあっとなでていく。栞はひざ立ちのまま蛙と向き合った。 「わいは、アネや。姉やないで。アの方にアクセントつけてや」  ふんぞり返ったように言うアネは今2本足で立っていた。  それでもひざ立ちの栞にのお腹くらいの高さまでしかない。 「アネ、ね。よろしく。あ、ところでここどこ? なんか気づいたらここにいたんだけど」  アネに興奮してすっかり忘れていたが、自分は確か金色の渦に巻き込まれてここに来たはずだ。 「おう! わいがここの案内人や。ここは名もなき場所。ここでしおるの名前をもらうんや!」 「名前って、魔法使いの名前?」  アネの言葉にはてな、と首をかしげる。  よくわからず円陣の中に入ってしまったが、自分が何のためにここに来たのか何も聞いていなかった、  と今になって気づいた。 「そや。なんや、しおる何も聞いてないんか?」 「うん。人間界用と魔法使い用の2つの名前があるっていうのは聞いたことあるけど、  今度また教えるって言われたし。何か知ってないとまずい?」  ぽりぽりとアネは頭をかいた。 「いんや、まずいことは何もないけどな。まあ、何にも知らないで来るやつってのが少ないのは確かや。  しおる、お前さんの上はだれや?」  上と言うとマスターのことだろう。マスターの名前は…… 「えっとね。クリス……うんちゃらかんちゃら言ってたかな? ネスって呼ばれてるって言ってたよ」  栞は首をかしげつつアネを見下ろす。そろそろ下を向いているのも辛くなってきた。 「ネス? 黒紳士クリスプフェイスメイネスか!?」  蛙はぴょんと栞のひざの上に乗る。 (黒紳士……。まさにマスターそのまんまじゃん!)  栞からしてみれば腹黒紳士だが。 「うん。なんかそんな名前だったかも。いっつもスーツ着てる」 「黒紳士がなぜこんな時期に……」  アネはあごに手をあてて黙ってしまった。そんな様子さえ人間みたいだ。  小さいころ、栞が頭の中で作った友達と本当にそっくりだ。 『あれ、しお、何かいてるん?』 『友達なのー。かえるさん』 『おお。可愛らしいなあ。ばあにも見せてくれるんか。蛙さん、何してるんや?』 『しおとあぐらかきながらおしゃべりしてるのー』  紙の上に書き出した蛙は栞の「友達第1号」だった。  いつもいっしょのかえるさん。いつからいなくなってしまったんだっけ? 「まあ、いいか。そな、しおるにはこっち着いてきてもらおか」  アネの声に栞の思考は途切れた。最近昔のことを思い出すのが多くなった。  あの腹黒紳士ネスに出会ってから。  アネはぴょんと栞のひざから降りると、ぴょんぴょんと金色の絨毯の上を歩き出した。  否、跳ねだした。 「ちゃんと着いてくるんやでえ」  跳ねるのは止めずに後ろを向きつつアネが叫ぶ。  一度に2メートルくらい跳んでいくから着いていくのが大変だ。  栞は小走りでアネの後を追う。  金色の絨毯は行けども行けども金色だった。周りの様子が変わることさえない。  砂漠の中にいきなり敷かれたみたいだ。  ただ、上に空はない。頭上は存在しなかった。  黒に塗りつぶされた空間がずっと続いている。  変わらない風景の中、アネの後姿だけが頼りだった。なぜか疲れもしない上に汗もかかない。  自分がどれくらい走っているかのバロメーターが機能せず、栞はただただ走った。  自分がこの場所から動いているかさも不安になる。見えないゴール。  進み具合さえもわからないままで走り続けるのは難しかった。  なぜ自分が走っているのかわからない。なぜ自分がここにいるのかわからない。  アネの背中が少しずつ遠くなっていく。足がもたついてくる。  もう、だめかも―― 「止まるんやない。決して止まっちゃあかん。  しお、よおく見るんや。この景色の中に何が見える?」 (おばあちゃん?)  絢子の声がした。 (おばあちゃん、どこにいるの?)  絢子の声は栞の右側から聞こえる。  聞こえるのに、栞は首が固まったかのように、そちらに顔を向けられない。 「しおが見なきゃ何も見えないんだよ。お前さんは一人かい?」 (何が見える?)  金色の絨毯。黒い空間。アネの後姿。  ほんとうに? それだけ? 「しおが見てたのはそれだけじゃなかったやろ。  朝顔も飛んだし、だんご虫はしおよりおっきかったんやろ」  そうだ。しおにはいつも友達がいた。世界は大きかった。  灰色の道路の上にはいろんなものがいた。いろんなものと遊べた。  金色の絨毯。その上にいるのは自分だけ? そうじゃない。 (ここは、草原。金色の草原には百獣のライオンと小さな泉と聳え立つ木々)  黒い空間。ここには何がある? (朝と夜の交わるところ。闇の中からコウモリが飛び出す)  私の前にいるのはアネだけ? (ライオンがゆっくりと体を起こした。ひとつ声をあげる。生き物たちが、森の中から走り出す!)  走っているのはもはや栞だけではなかった。鹿の上に乗ったサルが栞にウインクする。  シマウマは赤と黄色に染められて、ダチョウが空を飛ぶ。 (そうか)  すごく懐かしい気がした。いつのまに忘れてしまっていたのだろう。 (みんな、久しぶり)    心の中で声をかける。その声が届くことを知っている。  栞の気持ちをみながわかってくれるのを栞は知っている。  みんなが笑った。  アネが急にぴたっと止まる。 「しお、着いたで」    アネが振り返った。そこには金色の絨毯があるだけ。さっきと何も変わっていない。  けれど、栞には見える。大きな石だ。岩といってもいいかもしれない。白金に輝く石がアネの前にある。  栞は石へと近づいた。他の者たちはひっそりとその様子を後ろで見守っている。 「しおる。見えるな? これに手をかざすんや。何も考えなくていい。ただ、かざすんや」  アネの言葉にひとつ頷く。  両手を白金の石を包むようにかざした。この光さえも手の中に包めたらいいのに、と思いながら。  ぼおっと石から光が漏れる。輝きが増す。栞の手を光が包んだ。  そのまま、栞の手が持ち上がった。光が栞の手を動かす。  栞の手から光が宙へと離れていく。手から離れた光は宙に浮いたまま、その形を球に変えた。  ゆっくりと小さくなっていく光。  栞は手を下ろすことも忘れ、その光景に魅入っていた。  光は栞の顔を優しく照らす。頭を撫でられているときのようにその光にすがりたくなった。  光の塊がビー玉ほどの大きさになると、放たれていた光は消え、絨毯の上に音もなく落ちた。  手にとると目の前まで持ち上げる。白金の玉がきらりと光る。 「――。 それが、お主の名前だ」  アネのものではない声。光の渦が栞の体を包んだ。

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