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2.スーツの男は夢を語る

 家に帰っても夢だとは思えなかった。 (だって足踏めたし)  机に頬杖をつきながら栞は今日の帰りの出来事を何度も何度も再現していた。  ご飯を食べていても、お風呂に入っている時でも、気がつけば今日のことを回想している。 (恋してる人に心を奪われたみたい) 「それはちがいますね」  ばっと振り向くとあの男が立っていた。 「恋してる人に心を奪われたんじゃなくて、心を奪われたから恋してる人なんでしょう?」 「なっ!! あなた、ど、どうやって……!?」  あまりのことに驚く栞に、あの似非紳士はにこっと笑顔を返す。 「ここにどうやって入ったかってことですか? そんなの、魔法使いには簡単なことです」  栞の部屋は、家の二階。 道路に面しているので、もし、入ってくるにしても、 屋根をつたうか、空を飛んでくるかしかない。 (それこそ魔法使いみたいじゃないっ) 「だから、魔法使いなんですってば」    人の心を読むようにまた男は言葉を返す。 (本当に、本当?)  自問しながらも、もうすでに自分が信じるしかないことに栞は気づいていた。  それでいて、気づかないふりをしているのは、頑固な性格ゆえか。  チラッと、栞は男を見た。  男は最初のように、彼自身が和みを生み出す源であるような微笑みを浮かべていた。 この顔を見ているとなんだか魔法使いも何でもあるような気になる。 「信じてくれましたか?」 「知らないっ!!」  それでも、男の言葉に信じられない、と答えられなかったことが、栞には悔しかった。  案の定、男は笑顔がもれてしまうとでも言うような優しい苦笑をしていた。 「な、何を笑っているんですかっ!?」 「いえ別に。信じられない、という言葉が出ないのなら、  それはもう信じてもいいことなんですよ。  見えないはずのものが見えてしまうのなら、見えるものだと割り切ってしまえば良い」  栞は、ぐっと言葉に詰まった。 「……哲学みたいですね」 「そう難しいことじゃないんですよ。ほら、例えば、語る夢なんじゃなくて、  夢だから、語るんです。語らないなら、もうそれでそれは夢じゃない。  見えないと思えば、それはもう見えないままなんです」 「……奥深いですね」 「顔、笑ってますよ?」  男に言われて、栞は自分が笑いをかみ締めているのに気づいた。  苦笑しているとばかり思っていたのに。 「ちょっと、思い出して」  絢子との記憶。目にしわを寄せて笑った絢子の横顔。 『しお、夢は声に出して言うてみなあかん。言わんとどんどん風化していってしまうんや』 『ふーか?』 『なくなるっちゅうことや。夢じゃなくなるんや。しおの夢はなにかえ?』 『しおねー、朝顔よりおっきくなるん。そんで、朝顔が飛んでくとこみるんの』 『そりゃあ、でっけえ夢やなあ。しお、がんばったれ』  栞が朝顔に背比べで負けていった頃、  栞は花と言うものはすべてたんぽぽのように飛んでいくんだと思っていた。  タンポポも綿毛じゃなくて、黄色い花がくるくる回って飛んでいくんだとばかり思っていた。 「タンポポが飛んでいったって聞いてから、そう思い込んじゃったんです」  肩をすくめて栞は言った。絢子はずっとその栞の思い違いを正そうとはせずに、  がんばれ、といい続けた。  しお、朝顔飛ばしたれ、と何度だって言い続けた。珍しくしんみりした気分になっていると、 「じゃあ、飛ばせばいいじゃないですか」   黒スーツの男が水をさしてきた。 「……あのですねえ。そんなの」 「そんなのできない、ですか?」 「あたりまえ」 「当たり前じゃないですよ。ただあなたが叶えることを諦めただけです」    男はあの力のある目で栞を見た。駅で追い払われる鳩の目に似ていた。  しっしとさも汚らしいとでもいうように自分を追い払った男を、  じっと絡みつくように見ていたその目に。 「でも、だって、できないものはしょうがないじゃない」  そう言いながら、強く否定している自分がいるのを栞はわかっていた。  まだ何も知らなかった頃は、栞は何だってできた。 栞の頭の世界では、朝顔だって飛んでいったし、団子虫は栞くらい大きかった。 「できなくはないですよ。常識なんてくそくらえです。  要はそれに見合うだけの力があればいいんですから」 「どうゆうこと、ですか?」  男は笑った。 「あなた、僕の弟子になりませんか?」  男は今までで最上級の笑顔を栞に向けた。 ――お天道様がある時に雷様が鳴り出したら気いつけとき。何かが起こる前兆なんや。  絢子の声が、頭に響いた。 「はあ……」 今日で、幾度目のため息だろう。昨日の夜の出来事から、結局栞は一睡もしないまま朝を迎えた。 とりあえず、学校には行こうと、支度をし、いつもの電車に乗っていつもの道を歩いた。 何も変わらない朝のはずなのに、栞の頭には昨日の夜のことがいつまでもぐるぐると回っていた。 「はあ!?」  あの後、男が栞に弟子にならないかと聞いてきたあの後、栞は盛大に声を張り上げた。  思わず男がしいっと口に人差し指を当てた。 「栞? どうかした?」  階下から栞の母である美津子(みつこ)の声がする。 「なんでもなーい」  美津子に声をかけて栞は改めて男に向き直った。 「それは、一体どういうことですか?」 「そのままの意味ですよ。貴方が私の弟子になるなら、タンポポ飛ばせるように」 「結構です!!」  男がすべて言い切る前に栞は男の言葉を遮った。 「まあまあ。ほんとにせっかちですねえ。貴方が私の弟子になるなら、貴方のおばあさん、  見つけてあげてもいいですよっていうのも言おう思ったんですが・・・・・・それも結構ですか。  まあ僕には関係ないことですけどねえ」  男は意地悪く言いながら、栞の顔が自分の顔を凝視するのがわかった。 「私、何にも言ってないのに?」  絞り出すように声がか細くつむがれる。 「何で知ってるのか、ですか? それぐらいなら多少力があればわかりますよ。  まあ、話くらいは聞いてもらえる気になりましたか?」  しぶしぶと栞は頷いた。  信じられないといいながら、魔法使いに頼ろうとする自分に嫌気を感じながら。  教室の自分の席に着いたときには、自分がいつの間にか昇降口から上履きに履き替え、  自分の教室に入り、自分の机のいすに座っていたことにいささか驚きもした。  ただ、幾度となく電柱に頭をぶつけそうにはなったが。 「しおるー。どした? 今日はなんだかため息が多いよ?」 心配した美紗が、栞の顔を覗き込む。 (ため息もつきたくなるよ) 栞は美紗に相談したくてたまらなかった。けれど……、 (魔法使いの弟子になってくれって言われちゃったー。えへへ〜。  ……なんて言えるわけないじゃないっ!!) 栞が頭を抱え、一人思案していると、美紗が声を上げた。 「わかった!!」 「へ?」 手を頭からはずし、美紗を見上げると、彼女はいっそう栞に顔を近づけささやいた。 あまりの真剣な顔に、そんなことはないと思いながらも美紗が魔法使いのあの男のことを 知っているんじゃないかと、栞はかすかな期待を持った。 「栞あんた……」 「うん」 ごく……と喉がなった。 「恋煩いでしょ?」 「は?」 あまりの突拍子な美紗の問いに栞は二の句が告げなかった。 「いいのいいの。そんな隠さなくたって。で? いったい誰なの?   栞ったら高三にもなったって言うのに浮いた話ひとつなくってさ。いいなあ。栞が恋かあ。  で、お相手は? どうしてもその思いを秘めていたいって言うなら話は別だけどさ」  栞はばたん、と机に突っ伏した。  美紗は大胆に切ったショートヘアに黒ぶちのめがねときりっとした眉で端から見ると、  しっかりしたお姉さんという感じが強い。思い込みが激しいことと、  すぐに恋愛に結び付けたがることを除いては、確かに頼りになる人物なのだけれど。  美紗はと言えば、ちゃっかり中学校時代から付き合っている彼がいる。 「あら? 違うの?」  机に突っ伏した栞を見て、美紗は残念そうな声を上げる。  顔は机につけたまま手だけひらひらと振って否定の意を表しながら、  栞はこりゃますます話せないな、と思った。  美紗が信じる、信じないの問題ではない。  ただただ、この世界を生きる美紗をこんな変なことに巻き込みたくはなかった。  ほっぺにくっきりえくぼを作って笑う美紗に新興宗教みたいな  「マホウツカイ」だなんて似合わない。  きっと言えば面白そう! と笑いながら付いてくるだろうけど……。  その姿があまりにも易々と想像できたので、栞はまたはあーっと溜息をついた。  まきこまれちゃいかんだろ! と想像の美紗につっこむ始末である。 (こうなりゃ、仕方ない)  今のが、最後の溜息だ。巻き込まれてやろう、自分は。  栞はそう、心に決めた。  うじうじ悩むのも性に合わない。 「朝顔、飛ばしてやろーじゃん」  栞の声は、美紗に届く前にチャイムの音にかき消された。  ただ、栞は確信していた。この言葉を、あの男は聞いているだろうと。

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