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1.地獄の覇者はスーツをまとう

 お天道様が顔出してる時に雷様が怒り出したらえらいこっちゃよ。 前兆の前触れなんや。何かがおこっから気いつけとき。  まだ栞(しおる)がおかっぱで朝顔と背比べしていた頃から祖母はそう栞に聞かせていた。 「おばあ? なにがおこるん?」  祖母の絢子は目にしわを寄せて唇に人差し指を持っていった。 「まだしいーや。しおにもわかるときが来るでえ」 「しー」  栞も目にしわを寄せようとして眉間にしわを寄せた。  絢子がからからと笑う。  まだおかっぱで朝顔にも背比べで負けていた頃、  栞には朝顔の葉の裏側も土を這う団子虫もすべてが見えていた。  昇降口で靴を履いたところで、がんっと胃を上から押し付けるような怒号がとどろいた。  太陽と稲妻が青空でけんかしているみたいだ。 「うわ〜、太陽あるのに雷鳴ってるよ」  栞が肩をすくめて下腹を押さえると、そんな様子を見て美紗が笑った。 「しおったらゴキブリは怖くないくせに雷が怖いの?」 「怖いっていうか、不気味? なんか起こりそうじゃん」  じゃん、と言う言葉にグルウウという犬の唸り声のような音が重なった。  栞は靴の紐を結ぶのもそこそこに立ち上がると美紗をせかした。 「早く帰ろ。おばあちゃんも言ってたんだよ。こういう日は何かが起こる前兆なんだって」 「はいはい。栞はおばあちゃん子だったからねえ。 ま、絢子おばあさんが言うことなら早くかえろっか」  おばあちゃん子だったからね。  栞の中で美紗の言葉のそのフレーズだけが、ぽんと跳ね返ってゆく。  胸の中の「おばあちゃん」ていう言葉に反応する部分がかんと音を立てた。  この音が虚しいとか寂しいとかってものの源なんだろうなと近頃思う。  祖母の綾子が栞のその部分に住みついたのは半年ほど前のことだ。  そのうち帰るからねえ。  そんな書置きを一枚残して。祖母である綾子はいなくなった。  家出でも行方不明でもない中途半端な状態のまま、  栞にはぽっかりと空いた穴を見つめる日々が続いている。  学校の校舎を出ると、向かい側から太陽が二人を照らす。  光が強すぎて目を細めた。 「こんなに晴れてるのにねえ。何で雷なんか」  美紗が手でひさしを作りながら空を見上げた。  時折思い出したように空が唸りだしては、  胃を蹴り上げるほどの大音量で雷が落ちる。  鞄をお腹の前で抱き上げながら、栞はなんだか嫌な気がしてならなかった。  姿の見せない雷はまるで地獄の覇者だ。 (って、何SFみたいなこといってんのよあたしは)  首をふって自分の馬鹿みたいな想像を蹴散らす。 昔は絢子に、しおの世界は楽しいねえ、とほめられたものなのに……。  とりとめのないことを考えていると、突然目の前にぱっぱっと手が上下に動いた。 「栞、あんたホントに大丈夫? 一人で帰れる?」  気がつけばもう、美紗と別れる場所まで来ていた。  美紗は五分とかからないほど学校の近くに住む地元民だけれど、栞は遠距離組だ。 「ちゃんと電車乗りなよ? 反対側行っちゃダメだからね」 「初めてのお使いじゃないんだからさあ。ちゃんと帰るよ。じゃあ美紗明日ね」  苦笑しつつ手を振ると、美紗は満足したように栞に背を向けた。  さてと、と栞も道に向き直ると、走り出した。怖いものは、怖い。 まだ衣替えしていない冬服のスカートがばさばさとゆれる。  生暖かい空気が栞にまとわりつくようで、それすらも振り払うかのように走った。 速く、はやく。追いつかれちゃだめ。  空ではまだ雷が機をうかがうようにして唸っている。栞の目に空き地が見えてきた。  緑のフェンスに囲まれた空き地は用途不明のまま雑草だけが見事に生い茂っている。  いつもは太陽の光を浴びる草の青さに微笑まずにいられない栞だが、  今はその雑草さえも不気味に見えてくる。 (いきなり伸びて襲ってきそう)    雑草に絡まる自分を想像してぞっとしてしまった。  フェンスを曲がろうとする。  チラッと雑草に目をやった。 (全く……) 「想像力ないですねえ」  えっ? と思って思わず栞は走りながら声のほうを向いた。 「――!!」  声が出なかった。びっくりして荒い息を思わず止めてしまったせいで一瞬酸欠になる。  再び空気を入れたときには口の中にかき集めすぎて、咳き込んでしまった。  足はもう止まっていた。  鞄は手から落ちて道路に転がっていた。栞は、上を見上げていた。 「おや? あなたまさか僕が見えてるんですか?」  がくん、と膝から力が抜けて地面に落ちた。 (膝が痛い) 「そりゃあ、そうやって落ちれば痛いと思いますよ」  声が、降ってくる。上から。  背景は青色だった。  くそ暑い中スーツをびしっときめて、栞が見上げる向こうには、  人間が、いた。  いつの間にか、雷は止んでいた。 「そんなに驚かないでくださいよ。僕も一応人間なんですから。  それより、あなた、本当に僕の姿見えてますよね?」    宙に浮かぶスーツ。  じゃない、人間は、立った姿勢のままゆっくりと近づいてきた。  近づくというよりは下降してくる、だろうか。  滑り台を立ったまま降りているような滑らかな動きだった。  つま先からトン、と地面に足をつける。  半立ちのままかばんを道路に放り出して、栞の体の中をいろいろなものが一気に逆流していく。  何でこんなところに人が、っていうかそもそも浮いてて、スーツなんて着ちゃって、  降りてきたと思ったら私の前にいて、それで、なんでこの人笑って―― 「笑顔は僕の商売道具ですからね」    男は栞の思考を横からかっさらうように言葉尻をとっていく。 「――って何で、あなたわかるんですか!?」    こんな状況でも敬語を使っているというのが、少し不思議な気分だ。 「そうそう。年上には敬語を使いましょうってね。あと、その指下げてくれたら完璧です」    栞の人差し指はびしっとその男のほうを向いていた。おずおずと手を下げる。  人を指差すのはいけないことだと言ったのは、絢子だった。 「いい育て方されてますね」    にっこりとその男は笑った。さっきまでは距離が遠くてよくわからなかったが、若い。  悪意はありません、と言う顔に、身に染み込んでいる礼儀の正しさ、気品、みたいなものが、 かえって彼を胡散臭くさせている。 「眉間にしわよってますよ?」  トンと、人差し指で男は眉間を指差した。  思わず栞は眉ごと隠すように掌を額に当てた。 「そ、そうじゃなくてですね。あなたは一体何なんですか?」  地面にぺったりと足をつけたまま栞はその男を見上げる。 「僕ですか?」 「あなた以外にいないでしょうっ!!」  男はにやり、と口の端を持ち上げた。  あくまで品を湛えたその口元は、 「僕は魔法使いです」  栞の想像よりもちんけな言葉を吐き出した。 「……」  栞は掌をゆっくりと額からはずした。 「まほうつかい?」 「ええ」  男は軽く微笑する。  すくっと栞は立ち上がった。  男の脇を通って駅へと歩く。 「足がふらついてますよ?」  声に笑みを宿して、男は栞の一歩後をゆったりと歩きながらついてきた。  小道から少し大きな道路に出た。  買い物を終えた主婦達が往来している。 「……」 「痺れたんですか?」  男はあくまで自分のペースを崩さない。  栞は立ち止まった。 「……えろ」 「はい?」  男は小首をかしげる。 「消えろ白昼夢!!」 「……白昼夢、ですか」 「そう……。そう、これは白昼夢なの。  だから私にはあなたが見えていたとしてもほんとはいないし、  じゃなきゃ地獄からの使者。きっとあの雷もあんたがやったんでしょう!?」 「……そこまでくると、その想像力もなんだか景観ですね」  はあはあ、と荒く息をつく栞はその男にもう一度罵声を浴びせようと口を開いて、  ポン、と肩をたたかれた。 「あなた、だいじょうぶ?」  四十も過ぎたようなおばさんだ。栞に面識はない。  栞は男を一度にらみつけると、体をそのおばさんに向ける。 「何で、しょうか?」  彼女はゆっくりと息を吸い込むと、雪が降った日に道端で転んだ人を見るような目で栞を見た。 「あなた、そこにはだれも」  チラッとおばさんは男のほうを見る。男は愛想よく手を振った。 「手なんか振って……白昼夢め」  おばさんは栞に向き直った。 「だれも、だれもいないわよ」  栞の中で荒れていた波がさあっと引いていった。  ダレモ、イナイ? 「え? え、あの、いないって、でもいるじゃないですか。 ほら、あなたに手を振ってる……え、じゃあ、ホントに白昼夢――」 「そんなわけないじゃないですか」  男の声は栞の耳には良く聞こえていなかった。 「じゃあ、わたしはこれで。あなた気をしっかりね」  おばさんはもう何の関係もない、とティッシュ配りの人を避けながら、栞から離れていく。 「行っちゃいましたねえ。あの人、優しい人でしたけど、ひどい人ですね」  栞は男に近づいた。男の前に立ち足元をじいっと見ると、いきなり、足を上げた。 「っっったああぁぁ」  男が声を張り上げる。 「やっぱり。触れる」 「痛いじゃないですか。確かめるにしても、もっとやりようがあるでしょう。ここ巻き爪なんですよ」  男はしゃがみこんだまま、恨みがましく栞を見上げる。  全体重をつま先に乗っけたのだから痛いはずだろう。 「ごめんなさい。神の声に負けて」  そんなことより、と栞は男を道の端に持っていった。 「あなた、本当に何なんですか?」 「だから、魔法使いですってば」 「そんな今時小学生も語らないような夢言ってないで、本当のこと話してくださいってば」  その言葉にゆっくりと男は立ち上がった。 「な、何ですか?」  今まで害なし顔を終始貫いていた男に急に気迫みたいなものを感じて、栞は思わず気圧された。 「あなただって、想像力は五流以下じゃないですか」 「そんなっ、せめて三流」 「それでも、小学生だって今時そんなこと思いませんよ」  男は気分を害したようで、らしからぬ棘のある声だった。 「僕、もう帰ります」   え? と栞が声を出す前に、その男は綺麗にいなくなっていた。カラスが一羽、カアと鳴いた。 「そうですよ、あの頑固さは何ですか、いったい。え?   そりゃあもう……わかる気がするところもありますが。  いいですよ。やりますよ。素質? ああ、地獄の覇者か神様かですね。  ……わからないならいいですよ。  こっちのことです。ええ。  では次に接触したときにまた連絡しますよ。はい。ではまた」    黒のスーツが闇夜に溶けている。  男はその闇に向かってまるで誰かがそこにいるかのように一礼をした。  顔を上げたときにはすでに一匹の黒カラスへと姿を変えていた。  姿を変えたと言うよりは置き換わったように鮮やかな変身ぶりだ。 「でも、まあ、いじめたくなる性格ではありますよね」  カラスから男の声が聞こえる。カラスはそのまま飛び立つと、  今度こそはっきりと闇夜へ消えていった。

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